岩手・宮城・福島の産業復興事例集30 2021-2022 第二章、始動~ニッポンの次世代モデルを目指す
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6工場がある飯舘村が「計画的避難区域」にそれでも工場が止まることはなかった株式会社菊池製作所カブシキガイシャキクチセイサクショ 金属製品製造業 本社:東京都八王子市美山町2161-21福島第一工場:福島県相馬郡飯舘村草野字車110 042-651-6093 http://www.kikuchiseisakusho.co.jp 1970年 370人(国内連結) 44億6,500万円(2020年度)、53億6,500万円(2019年度)(いずれも連結) 13億300万円 1970年、精密板金加工業として創業。1976年3月に法人化し、2011年10月にはJASDAQに上場。製造の主力工場は飯舘村にあり、東日本大震災前、6カ所の工場に約300人が働いていた。 菊池功氏[代表取締役社長] 042-651-7890(本社)◆主力の福島工場の事業継続福島第一原子力発電所の事故後、飯舘村では3月22日から自主避難が始まり、4月22日に全村避難。社員の安全確保を優先しつつ、主力の福島工場の事業継続が課題となった。◆革新的技術による事業領域の拡大日本のものづくり産業は、量産だけでなく、量産に関わるさまざまな工程も海外移転を進めている。従来の「ものづくり支援」事業は経営の土台であり、この領域においても新技術を導入し、事業領域の拡大を図る必要がある。◆高付加価値のビジネスモデル構築単純なものづくりでは利益が出ない。既存のものづくり技術を応用し、社会に実装させる、高付加価値の新たなビジネスモデルの構築が必要になっている。専業メーカーに匹敵する最新鋭の設備が高い技術力を支えるこれまで培ったものづくりを「どう生かすのか」を創造することが重要と語る代表取締役社長の菊池氏株式会社菊池製作所は、1970年に、飯舘村出身の菊池功氏(現代表取締役社長)が東京都八王子市で創業した。金型・試作品製造を中心に業績を伸ばしていき、開発ー試作ー量産のプロセスを一括一貫体制で支援する「総合ものづくり支援企業」へと成長。現在、上場企業だけで50以上のメーカーからの委託を受けている。この発展を製造面から支えたのが、飯舘村にある福島工場だ。菊池製作所は1984年から2009年の間に飯舘村に6つの工場を開設。各工場は別々の工程を担い、それぞれが専門性を高めていき、6工場全体で菊池製作所の高い技術力・製造力の基盤を成している。菊池氏は工場立地としての飯舘村を、①行政から手厚い支援がある、②地元の会社と思ってくれて従業員の愛社精神が強い、③転職されにくく時間をかけて人材を育成できるとして、高く評価している。東日本大震災では、飯舘村の地震による被害は軽微だったが、その後放射能汚染の状況が明らかになり、4月22日に村全域が「計画的避難区域」に指定されてしまう。国の原子力災害対策本部から「飯舘村の工場の稼働は認める」との通知があり福島工場は休業しなかったが、「健康被害があってはならない」との考えの下、さまざまな手が打たれた。本社から放射線量が計測できるガンマカメラを送り、除染作業に役立てた。工場にはエアシャワーや靴底洗浄機を設置したほか、製品はすべて洗浄液で洗って納品するなど、徹底した対策を実施した。さらに、飯舘村の工場が稼働できなくなる事態に備え、二本松市にバックアップ工場も確保した。顧客企業からは問い合わせも相次いだが、一連の対策を説明し理解を求めた結果、取引がキャンセルされることはなかった。避難が年単位で続く中で会社を離れる社員もいたが、多くが長44背景と課題福島県飯舘村徹底的除染と対策で工場は稼働継続徹底的除染と対策で工場は稼働継続人を支援するロボットで福島復興を人を支援するロボットで福島復興を株式会社菊池製作所33

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