岩手・宮城・福島の産業復興事例集30 2021-2022 第二章、始動~ニッポンの次世代モデルを目指す
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株式会社鈴木酒造店カブシキガイシャスズキシュゾウテン 飲料・たばこ・飼料製造業 鈴木大介氏[代表取締役] 福島県双葉郡浪江町大字幾世橋字知命寺40 0240-35-2337 0240-23-4181 http://www.iw-kotobuki.co.jp 1840年 非公開 1,000万円 江戸時代の天保年間に創業。2011年の東日本大震災の津波被害で建屋が全壊したが、同年10月に山形県長井市で酒造りを再開。2021年2月、10年ぶりに浪江町での酒造りを再開した。 6人◆津波で資金、酒、資料が流失浪江町請戸地区を襲った15mもの大津波で、建屋はもちろん、貯蓄分の酒、事業資金、代々受け継がれていた資料などを失う。◆浪江町全域が避難指示区域に設定福島第一原子力発電所の事故の影響を受けて、浪江町全域が避難指示区域に設定。2万1,000人の町民は避難を余儀なくされ、2017年3月に一部地域の避難指示が解除されるまで、帰還はかなわなかった。◆被災直前の出来事が再開の光に2011年1月に研究のため機関に預けていた酵母が残っていた。このことが、伝統の酒「磐城壽」の製造続行を決断する光明となった。江戸時代から続く老舗酒蔵で杜氏も務める代表取締役の鈴木氏浪江町請戸地区は、沖合が県有数の好漁場として多くの漁船が集い、古くから港町として知られてきた。雄大な海を一望する請戸地区で、江戸時代から酒造りを続けてきたのが株式会社鈴木酒造店だ。代表するブランド「磐城壽」は、元々祝い酒として地元漁師の間で親しまれ、県内外にもその名が知られていった。そんな老舗酒蔵が2011年3月11日、東日本大震災の大津波により、代々守ってきた蔵を失ってしまう。「東日本大震災があった日は、ちょうど仕込みの最終日でした。毎年仕込みが終わる日には、みんなで集まってお祝いをしていたので、あの日も少し早く仕事を切り上げようとしていたところでした」。そう振り返るのは5代目となる代表取締役の鈴木大介氏。今まで聞いたことの無い地響きを耳にした直後、大きな揺れに遭遇。地元の消防団にも所属していた鈴木氏は、家族に避難するように伝えた後、地区の避難誘導に当たった。その最中、海の方から「ドカーン」という大きな音が聞こえてきたという。「びっくりして海を見ると、いつもより水平線が高い位置にあり、色も真っ黒だったんです。その瞬間、すべてが流されると覚悟しました」。大津波の影響で請戸地区は壊滅。さらに、福島第一原子力発電所の事故の影響で浪江町全体が避難区域となってしまう。鈴木氏は一時避難していた川俣町で広島赤十字・原爆病院の救急車を目撃した際、「もう浪江町には戻れない」と悟り、絶望したという。その後、家族と一緒に山形県米沢市で避難生活を送った鈴木氏。酒蔵を閉じることも考えたが、「被災から1週間後くらいに、このままでは駄目だと思い、まずは取引先へ無事であることを連絡しようと動き出しました」。避難先の民宿の一部を仮事務所として借り、インターネットカフェで取引先の住所を調べ、家族総出で手紙を送った。理想とする酒造りのスタイルと出合い浪江での再建を念頭に山形で再出発先が見えない中でも行動を始めた鈴木氏に、かつて修業していた関西の取引先から大阪府で酒造りをしないかという誘38背景と課題故郷へ戻れないという絶望感も酒造りへの強い思いは失わず福島県浪江町10年ぶりに故郷での製造再開10年ぶりに故郷での製造再開地元漁師たちに鍛えられた伝統の祝い酒地元漁師たちに鍛えられた伝統の祝い酒株式会社鈴木酒造店00

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