岩手・宮城・福島の産業復興事例集30 2021-2022 第二章、始動~ニッポンの次世代モデルを目指す
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株式会社ふたばカブシキガイシャフタバ 技術サービス業 遠藤秀文氏[代表取締役] 福島県双葉郡富岡町大字小浜字中央592 0240-22-0261 0240-22-0368 https://www.futasoku.co.jp 1971年 6億3,700万円(2020年度)、6億7,900万円(2019年度) 1,000万円 1971年、遠藤勝也氏が、富岡町で測量と土木設計の事業を開始。2013年、遠藤秀文氏が社長に就任し、現社名に変更。2015年「がんばる中小企業300社」に、2020年「地域未来牽引企業」に選定される。2020年「ふくしま産業賞」知事賞を受賞。 50人◆自治体等が進める復興事業への対応本社がある富岡町には避難指示が出された。本社が機能不全に陥る中、県・市町村、国が発注する復旧・復興関連の業務に対応しなければならなかった。◆復興事業減少後の事業基盤の確立復興関連の事業量は、いずれ減少する。そのときに備え、復興関連以外の領域で安定的な事業基盤が確立できるような経営のかじ取りが求められた。◆富岡町への帰還、地域の復興への貢献避難指示が解除されたときは、本社を元の富岡町に再建する思いがあった。双葉地域は、誰も経験したことの無いような多重災害に見舞われていて、そこからの復旧・復興に貢献したいと考えていた。ODAを中心に、これまで7カ国で海岸保全計画などのプロジェクトを実施双葉地域の未来について「世界から注目される地域となる」と語る代表取締役の遠藤氏双葉測量設計株式会社(富岡町)の専務取締役(社名、肩書きは当時)、遠藤秀文氏は、東日本大震災直後、妻の実家がある岐阜県に避難した。発災から5日くらいたち、ようやく父と連絡が取れた。父・遠藤勝也氏は、双葉測量設計の創業者で、当時は富岡町長を務めていた。遠藤氏は、父から「復旧・復興に尽力して、お世話になった地域に恩返しをしなさい」と言われ、一日も早い事業再開を決断する。急ぎ福島に戻り、4月11日、富岡町が出張所を置いた郡山市に事務所を構えた。しかし、21人いた社員のうち11人が辞めてしまっていた。加えて、どれくらい仕事があるのかまったく分からず、社員には「もしかすると3カ月で会社を解散することになるかもしれない」という話をした上で、業務を再開したという。ところが、実際に会社が動き出すと、対応せざるを得ない課題や問題が山積していた。県・市町村の復旧・災害査定対応に関わる仕事や、遠藤氏が以前勤めていた大手総合建設コンサルタント企業、日本工営株式会社と共同で、国レベルの面的調査や防災緑地計画のマニュアル作りなどに取り組んだ。実際の現場は浜通りが主で、5月に相馬市に事務所兼社宅を、6月にいわき市に事務所を、相次いで開いた。「業務再開後の数年間は、仕事が急増して、とにかく必死で会社を回していくしかない過酷な日々だった」(遠藤氏)という。寝る間も無い日々が続く最中の2011年7月、遠藤氏はインドネシアに向かう。双葉測量設計は、東日本大震災前から海外の建設コンサルタント事業を手掛けていて、この年、バリ島の海岸保全に関するJICAのプロジェクトを受注していたのだ。「膨大な仕事と社員を残して行くことに後ろ髪引かれる思いだったが、復興事業が下火になる10年後の会社のために海外事業を育てておく必要がある」と、遠藤氏は考26背景と課題2011年4月11日、郡山で業務再開社員は半減したが災害対応は山積していた福島県富岡町測量技術に新たな価値を付加し、測量技術に新たな価値を付加し、原子力災害被災地のニーズに対応原子力災害被災地のニーズに対応株式会社ふたば0404

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