岩手・宮城・福島の産業復興事例集30 2021-2022 第二章、始動~ニッポンの次世代モデルを目指す
20/114

株式会社うおしんカブシキガイシャウオシン その他の生活関連サービス業 齊藤正行氏[取締役社長] 福島県いわき市小名浜住吉字飯塚45-1 0246-58-4122 0246-58-4124 https://www.omotenashiuoshin.com/ 1957年 27人 非公開 1,000万円 1957年に鮮魚店として創業し、仕出し屋、結婚式場経営へと事業を拡大していった。以来、8,000組以上の婚礼を取り持つ。2019年に八幡台やまたまやグループ入りし、2021年4月、結婚式場・宴会場「おもてなしうおしん」として再スタートした。◆被災被害からの事業の立て直し東日本大震災直後、大量の結婚式のキャンセル・延期が出たことで、経営は大打撃を受けていた。また、施設の復旧等にも資金を必要としていた。◆安定した事業継続、後継経営者の確保安定して事業を継続していくために、経営基盤を強化し、後継経営者を確保することが必要だった。◆結婚式場としてのブランドの見直し若年人口の減少や価値観の多様化など、ブライダル業界を取り巻く環境は厳しかった。東日本大震災以降、ブライダル需要がさらに落ち込む一方、宴会や法人需要などの比重が増し、結婚式場としてのブランドが営業の実態にそぐわなくなっていた。専門家の支援によりブランドを一新。ブランドロゴは「結の場」をイメージ株式会社うおしんの創業者、佐藤新五郎氏は、1972年、いわき市の中心部、小名浜地区に結婚式場「魚新会館」(1983年、「ニューうおしん」に改称)を開業する。その結婚式場は「うおしん」の名で人々に親しまれ、地域の縁を取り持つ社会インフラの役割を担った。2006年、経営を引き継いだ新五郎氏の娘、佐藤君榮氏は、結婚式場を「カルチェ ド シャン・ブリアン」と改称し、意欲的に経営に取り組んだ。しかし、若年層人口が減る中、競合する施設も増え、決して楽な経営環境ではなかった。そこに、東日本大震災が起こった。放射能汚染に関する風評や、多くの死者が出た中で祝い事の自粛が広がり、結婚式の延期・キャンセルが相次ぐ。建物にも大きな被害があり、実質的な休業状態が3カ月続いた。4、5月は、昼食用弁当800食を朝7時までに湯本の宿泊施設に届けるという激務をこなし、福島第一原子力発電所事故の収束作業の“後方支援”に回った。一方、施設復旧などの資金を確保するため、公的支援を受ける道を探った。うおしんは、冠婚葬祭事業を手掛ける「株式会社八幡台やまたまや」(本社いわき市/以下、やまたまや)など地元企業37社と共にグループを組成し、グループ補助金の交付を受ける。同業者でグループをつくることはまれで、非常時にあって、地域の事業者が結束したことで被災直後の危機を乗り切ることができた。夏に入り、地域の人々からの励ましも受け、社員たちは奮起する。企業・団体への営業強化、結婚式での新サービス導入など、思い切った経営施策を展開していった。同じいわき市の同業者と業務提携を締結「おもてなしうおしん」としてリスタート若年層人口の減少、価値観の多様化など、ブライダル業界を取り巻く社会環境の大きな変化にはあらがい難いものがあった。被災後5年を過ぎたころから、君榮氏は、安定した事業の継続と後継経営者の確保に向けて業務提携を模索し始める。その中で、提携先企業としてやまたまやが浮上した。やまたまやグループは、いわき市を中心に、コンベンションホール、婚礼施設、葬祭施設、計15施設を展開、運営し20背景と課題発災後、結婚式が激減し大打撃を被るグループ補助金で危機を乗り越えた福島県いわき市結婚式場から多目的ホールへ結婚式場から多目的ホールへ社会インフラ施設をブラッシュアップ社会インフラ施設をブラッシュアップ株式会社うおしん00

元のページ  ../index.html#20

このブックを見る