岩手・宮城・福島の産業復興事例集30 2021-2022 第二章、始動~ニッポンの次世代モデルを目指す
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佐々木 里子氏の想いての魅力の一つだと思います。岩﨑 町全体での連携の前段階として、佐々木さんたちのように同業者の皆さんでタッグを組んで、被災後にいち早く宿舎を開業した動きが素晴らしいと思います。釜石は被災で残った宿が自助努力で再開し、復興の拠点となりました。あのとき連携して、一体となって町づくりの話し合いができていたら、もっと復興スピードは速かったかもしれません。被災経験を経て改めて思うのは、どんなコミュニティをつくりたいか、どんな生き方ができる町なのかを住んでいる人で共有しておいた方がいいということ。被害を受けた後ではすぐに動けませんから。そういう意味では、今私たちも釜石に温泉やスポーツを楽しめる場所をつくりたいと思っていまして。今度は土木や建築関係の人にも声をかけて、町ぐるみで一緒に取り組んでいきたいですね。赤木 われわれの場合は新規参入なので、比較的自由に動けていると思います。仙台を訪れる観光客の多くは青葉城を見て、松島に行き、夜は国分町でうまい物を食べるのが定番コースです。そこでわれわれが目指しているのは、生意気かもしれませんが、「仙台には、ほかにも魅力的な場所があるよ」と自信を持って言える場所をつくること。「アクアイグニス仙台」の近くには観光果樹園や、週末に「ゆりあげ港朝市」が開かれる商店街などがあります。こうしたほかの事業者と連携していくことが地域を盛り上げるためには不可欠です。今はみんなで毎月集まって、「施設ごとの集客ではなく、ベイエリア全体で、青葉城や仙台駅に来たお客さんを呼び込もう」と話し合っています。「何度も帰ってきたくなる町」が女川の魅力。「町民力」で町の力を一つにして盛り上げていくとともに、新しいことに挑戦する若い人が住みたくなる町をつくっていきます。(右)トレーラーハウスが並ぶ光景は非日常的 (下)自然光をたっぷり採り入れた、モダンなイメージの内装。子どもが喜ぶロフト付きルームもある集客を増やすためには交通面での課題を改善する必要がありそうですね。赤木 仙台駅からベイエリアまでタクシーで行くと結構な金額がかかってしまいます。これが集客の課題になっていました。そこで、周辺の事業者と連携して、最寄りの荒井駅から無料のシャトルバスの運行を計画しています。観光客が気軽に来やすい環境を整え、さらに2~3カ所をぐるっと回って旅を楽しめるプランを提案して、地域全体で集客して盛り上げていこうと取り組んでいるところです。岩﨑 私たち観光業はいろいろな企業さんと一緒に地域と空間をつくっていかなければなりませんよね。そのためには、目指すものを共有することが大事なのかなと思います。「ホテル・エルファロ」さんも女川でいろいろな企業と連携していますよね。佐々木 当ホテルというより、女川自体がそういう町なんです。被災の後に「60歳以上は口出すな」という言葉が高齢の方々から生まれました(笑)。決して皮肉ではなく、若い人たちが働きやすい町にするために60歳以上の人たちは見守ろうと。そして、自分たちの知識を伝え、外とつないであげよう、という意味です。「一度壊された町なんだから、今度は若い人が自分たちが好きな町をつくれ」というのが女川の人の考え方。それが本当に実行されているから、移住する方も増えて、面白い町が生まれています。ほかの地域では外から来た人が新しいことをしようとすると出る杭が打たれてしまうことがありますが、女川の場合、「出る杭は磨かれてしまう」んです。岩﨑 とてもいい言葉ですね。佐々木 女川には「あの人とつないであげるよ」「自分たちも手伝うよ」とお節介を焼く人が多くて。「また面白い人がやって来たな、何をしてくれるのかな」と、みんな、ワクワクして見守っているんです。そういったコミュニティがあるから、女川が若い人が住みたいと思う魅力的な町になっているんですね。岩﨑 女川が被災地の復興をリードしている理由がよく分かりますよね。私も「出る杭は磨かれる」という気持ちを改めて持って、皆さんと交流していきたいと思います。釜石ではつながり人口を増やして、その中で釜石という町を維持するという考え方が最初からありました。元々鉄鋼の町で、外部の企業の皆さんと一緒につくり上げた町ですから。被災後も外の皆さんのエネルギーと知恵で引っ張ってもらってきました。でも、10年という節目を迎え、次のステージに進まなければと考えています。今、根浜界隈には、移住して自らビジネスを立ち上げる人が集まってきました。自分たちがやりたいことや得意なことを発信して、町のみんな104女川の町民力でもっと面白い町を目指します町の未来に共感する仲間を増やしていく

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