岩手・宮城・福島の産業復興事例集30 2021-2022 第二章、始動~ニッポンの次世代モデルを目指す
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未来を語ろう製造業活動拠点とする南相馬市は、原子力災害の多大な影響を受けた地域です。二次被害リスクを低減する技術を開発しながら、浜通り地域の復興支援や雇用創出にも貢献したいです。(上)「TERRA Dolphin 8000」 は高高度20,000mの飛行を目指す8m機体 (左)2021年11月竣工に向けて建設中の「TERRA LABO Fukushima」。長距離無人航空機の整備・製造、データ解析機能を有し、福島ロボットテストフィールドの滑走路に直結する民間試験研究施設となるどもたちの海離れが進んでいます。そこでプロサーファーが活動すれば、海の素晴らしさを伝えることができます。もしもチームが世界大会に出場すれば、それを応援する地域のつながりも生まれる。防災で大事なのは、人と人とのつながりです。平時からのコミュニティづくりを通じて、災害に備えることを、若い人の力で実現しようと始めたのが、このプロジェクトです。松浦 地域から世界を目指すチャンスをつくる点でも、島田さんのプロジェクトは素晴らしい。私は大学職員をしていたのですが、地方の学生が東京の大学や企業に固執する風潮には違和感がありました。地元に有能な企業があっても、聞いたことすら無い学生が多いのです。日本の構造的な問題だと思いますが、地域のことを真剣に考える人材を育成するためには、子どもたちに夢と未来を与えることが必要です。人と人とのつながりによって郷土愛を育み、子どもたちに未来像を描くことができる地域には、若い世代が戻ってくるはずです。片野 「東北に仕事が無い」と地域の外へ出る若い世代は多い。そう決断するのは、高校生が進路選択をするときです。私も、若い人材が地域で活躍できるように、カンファレンスに高校生を参加させたり、海外の展示会に高校生を連れて行ったりして、医療の未来ややりがいを共有できるように活動しております。島田 若い世代の流出は、防災という観点でも問題ですね。東日本大震災から時がたてば、被災経験を持つ人が減っていきます。そうなる前に、経験者の知見を、学術研究や法律に応用し、松浦 孝英氏の想い皆さんが手掛ける未来を変える製品は、どのように生まれるのでしょうか?島田 きっかけになったのは、東日本大震災という人生を変えた強烈な体験でした。それまでのビジネス上の成功をなげうってでも、次世代のために何かをしたいという思いが芽生えたんです。同時に、災害を繰り返し経験した日本が、世界に対して主導権を握れていないことに危機感を感じました。乾パンのような備蓄食しか提供できないのは、経験を生かしていない証拠です。被災という経験をもとに、新しいルールで世界に貢献したいと模索しながら、新しい社会システムをつくらなければなりません。そうした人材が地域で育成されなければ、次なる災害に備えることもできないでしょう。たどり着いたのが備蓄ゼリーでした。松浦 東日本大震災から8年後、福島 第一原子力発電所を視察したときに、「なぜ日本人である私が、この惨状を知らなかったのか」と強い疑問を抱きました。東北から離れた地にいる私たちにとって、すでに被災の記憶は風化していたのでしょう。同時に、復興に向かって南相馬市のベンチャー企業の方々がイノベーションに対して熱く取り組む姿勢にも衝撃を受けました。今後、自分の故郷である愛知県で南海トラフ地震が起きたときに、東北の知見を活かさなければならない。そうした思いもあり、南相馬市で研究開発をすることを決めました。片野 かつて岩手医科大学で救命救急を研究していた先生から、災害現場で輸液をするための製品を、当社のアクチュエーター技術で開発してほしいと言われたことがあります。半年後に東日本大震災が起こり、その必要性を痛感。点滴スタンドの置けない場所で正確に輸液のできるポンプを、11年かけて開発し、ようやく2022年に商品化が決まりました。胸の中には、この商品だけは東北から世界に届けなければならないという思いがありました。この商品はスタンドを使用しないため、災害現場だけでなく、在宅医療でも活用できます。東日本大震災をきっかけにしたイノベーションとして、実例を残すことを目指しております。101ものづくりの原動力になった東日本大震災という体験原子力災害を受けた福島の浜通りをテクノロジーの力で復興する

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