岩手・宮城・福島の産業復興事例集30 2019-2020 東日本大震災から9年~持続可能な未来のために
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ホテルから民宿まで、女川町にはかつて50以上の宿泊施設があったが、東日本大震災の津波でそのほとんどが失われた。ホテル・エルファロ共同事業体代表の佐々木里子氏も長年続く旅館「奈々美や」を両親と共に営んでいたが、被災して建物は全壊、流失。両親が行方不明となる中、旅館組合に入っていた12事業者で商工会の会議室を借りて定期的に情報共有会を開いた。手直ししながら継続することを決めた事業者や廃業を選んだ人たちが抜け、最終的に残った4事業者が現在のホテル・エルファロ共同事業体を構成している。「津波一つで今までやってきたことを無駄にはしたくない」という志を共にし、まず町から土地を借りるために女川町宿泊村協同組合を立ち上げた。そこへ、NPO法人アスヘノキボウ代表理事の小松洋介氏がトレーラーハウスの提案を持ってやって来る。小松氏は東北の被災地で活動をする中で、被災地に宿泊施設が不足していることを知り、簡易的にそれを実現するトレーラーハウスの提案をして回っていた。その話を聞いた女川町商工会の人が情報共有会に小松氏を紹介した。「当時は復興バブルなんて言われていましたが、そういうものかなと、現実的ではないだろうと思っていました」と振り返る佐々木氏。しかしトレーラーハウスを製造・販売する株式会社カンバーランド・ジャパン(長野県長野市)の展示場まで足を運び、現物を見て一目ぼれした。 旅館「奈々美や」の娘として生まれ、幼いころから旅館の中で育ち、学校から帰って両親の手伝いをするなど客が身近にいるのが当たり前という生活をしていた佐々木氏。結婚していったん女川を離れるも、両親から手伝ってほしいと頼まれた際には、当時暮らしていた福島から「喜んで帰ってきました」というほど、旅館業に愛着を持っていた。「形が変わっても、またお客さまと触れ合える場所が作れるかもしれないと、希望を持ちました」。グループ補助金についても情報共有会を通して知った。4事業者それぞれがエントリーし、被災前の規模を基に、合わせてトレーラーハウス40台分の規模で申請。復興復旧を目的とする補助金の性質上、トレーラーハウスでの宿泊施設は新設と見なされ申請はなかなか通らなかったが、商工会や地元の水産業者までが「女川のためにやろうとしてくれている」「復興を進めるには宿が必要だ」ということを強くトレーラーハウスと出合い見えた宿泊業再開の道女川町の人々の力で生まれた復興のシンボル「エルファロ」NPO法人アスヘノキボウ東日本大震災を機に生まれたNPO法人。所在地は女川町女川浜。自然災害等による被災事業者の事業再建支援、新規事業者の事業立ち上げ支援、まちづくり計画作成支援などの事業を行う。旅館「奈々美や」米穀店を営んでいた佐々木氏の祖父が始めた旅館。佐々木氏は小学生のころから看板娘で、結婚して一時離れるも家族で女川に戻り、被災で全壊するまで両親と共に家業を支えてきた。2030年復興への歩み[年間宿泊人数(人)]※1〜12月●復興支援団体が増加2013年10,220●12月地元市場ハマテラスオープン2016年11,730●女川近隣イベントごとに満室が続く2019年●3月JR女川駅開業●12月シーパルピア商店街など開業町中心部がにぎわいを見せる2015年7,037●5月トレーラーハウス移転計画のため一時休業●8月女川駅近くへ移設し、本設オープン2017年11,772●女川町滞在型観光客を増加するため エルファロと商店街のプランメニューを 売り出す2018年2011年●3月東日本大震災により女川町の8割が壊滅的被害を受ける●8月元旅館組合員の4人で今後を模索2012年●5月グループ化補助金申請●10月グループ化補助金受理女川町宿泊村協同組合を設立●12月清水町でエルファロオープン復興五輪新分野/新市場/海外進出観光振興/地域交流拡大事業承継被災地での再生・創業/被災地への進出166,00012,00004,0002,0008,00010,000[SDGs]2030年に向けて観光拠点として町外からの人々を受け入れることで町のファンを増やし、交流人口増加による経済効果を他の事業者にも広げ、女川の復興に寄与する。観光拠点として町外客を受け入れ経済効果をまち全体に広げる【目指していくゴール】グループ補助金85

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