岩手・宮城・福島の産業復興事例集30 2019-2020 東日本大震災から9年~持続可能な未来のために
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宮城県の北東部に位置する南三陸町。2005年に志津川町と歌津町が合併して生まれた町で、東は太平洋に面しており、町を囲むように山林が広がっている。2011年の東日本大震災では最大20mを超える津波が内陸部まで達し、6割以上の建物が半壊以上となるなど、甚大な被害を受けた。現在は本庁舎や住宅街を高台へ新設し、新たなまちづくりが進められている。被災後、南三陸町は「森 里 海 ひと いのちめぐるまち」をテーマに定めた。これは海と山に囲まれた南三陸町が、自然と共存しながら農林水産業の再生と発展を目指すというものだ。その大きな柱として町が定めたのが「バイオマス産業都市構想」である。住民が日々の生活で排出する生ゴミをバイオガス施設に収集して、発酵させることでバイオガスと液肥を生成。バイオガスは発電に使い、液肥は町内の農業に還元して、資源が地域を循環する環境保全型のまちづくりを実現する取り組みである。そのバイオガス施設が、アミタ株式会社の運営する「南三陸BIO」だ。アミタは地域デザイン事業を手掛けている。日本各地に拠点を持ち、南三陸町とは東日本大震災をきっかけに縁が生まれた。アミタホールディングス株式会社専務取締役の佐藤博之氏は、当時をこう振り返る。「発災後、私を含めたアミタのスタッフで東北にボランティアへ向かいました。たまたま南三陸町へ入って被災者の方と話をしてみたら、その方は遠洋漁業の漁師さんだったんです。遠洋という過酷な環境の中で働いているからか、自然との共生について深い考えをお持ちでした。被災からまだ間もないのに、次世代までが誇りに思える自然と共生する豊かなまちをつくりたいとおっしゃっていたんです。われわれとしてはこれを手伝わない理由はないと思い、押し掛けるように南三陸町の復興とまちづくりに関わることにしました」。海と山に囲まれた南三陸町は、豊かな環境資源をどう生かすかが重要な行政テーマとなる。南三陸町企画課で課長を務める及川明氏は、被災直後は町の復興計画を策定する部署に在籍していた。「2011年当時は町の漁業が過渡期に差し掛かっていて、産業構造を見直していた時期。被災して改めて、環境や災害に配慮したまちづくりが必要だと痛感しました。被災した町民が枝を集めてたき火をしているのを見て、山林を切り開いた樹木の根っこを活用した木質バイオマスというやり方はどうかと考えていましたね。そんなとき、町民の間からもバイオマスという言南三陸町の産業都市構想で中核にあるバイオガス施設被災者との出会いがアミタと南三陸をつなげた町でもバイオマス構想を模索していた地域デザイン事業人やまち、自然環境や資源といった地域を構成する要素を連携させて好循環を生み出し、持続可能な地域へと進化させるアミタのビジネスモデル。2030年復興への歩み[液肥製造量(t)/バイオガス生成量(N㎥)]※2015年10月稼働開始2011年●4月アミタが「ひと・つながり募金」を創設・実施し、スタッフがボランティアに東北へ向かう2012年●11月一般廃棄物等を資源循環させるプランを策定して実証実験を開始2014年●3月南三陸町が「バイオマス産業都市」に認定される●7月南三陸町とバイオガス事業の実施協定を締結復興五輪新分野/新市場/海外進出観光振興/地域交流拡大事業承継被災地での再生・創業/被災地への進出1230,00050,000020,00010,00040,000[SDGs]2030年に向けて南三陸BIOのバイオガス発電と液肥散布に加えて、木質ペレットによる燃料供給も実用化を目指す。山林と水産資源の適切な管理も継続する。※アミタグループは事業全般を通して 持続可能社会の実現を目指しているバイオマス技術を柱にいのちが循環するまちをつくる【目指していくゴール】2018年44,0322,0162017年41,4731,6062016年32,7652,1872015年●3月バイオガスプラント建設工事の起工式を実施●4月南三陸町で「平成27年度液肥普及活動事業」の業務を委託●10月バイオガス施設「南三陸BIO」開所5,257261液肥バイオガス67

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