岩手・宮城・福島の産業復興事例集30 2019-2020 東日本大震災から9年~持続可能な未来のために
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を運んだ。内定が決まっていた2人の無事も確認。「会社が無くなってしまったので内定取り消しだろうか」と不安がっていた2人を、「つぶれていないよ。一緒に救援物資を運ぼう」と笑顔で招き入れた。4月には、予定通り入社式を開いた。初々しくスーツを着て、胸に花を付けた2人の地元の若者の姿は、何もかも波に飲み込まれ、がれきの山となった陸前高田に希望をもたらす萌ほう芽がのようだった。入社式の様子は全国ニュースでも放映され感動を呼んだだけでなく、八木澤商店がしょうゆメーカーとして復活するために欠かせない、ある幸運をもたらすことになる。釜石市の北里大学海洋バイオテクノロジー釜石研究所に微生物の研究のために預けていた、もろみのサンプルが見つかったのだ。ニュースを見た研究員が、津波で崩れた研究所から探し出した4㎏のもろみは、岩手県工業技術センターで200㎏まで拡大培養された。しょうゆ製造を再開するには高額な設備投資が必要な上、原料から製品になるまで2年は必要だ。再建のプロセスは厳しかったが、段階を踏んで着々と歩んでいく。2012年4月に一関市大東町の元縫製工場に仮事務所を構え、同業者に生産を委託して5月にはOEM製造商品の販売で事業を再開。さらに取引先の水産加工業者が工場を秋に再開すると知り、一関市花泉町に工場を借りて、つゆ・たれの製造を始める。従業員への賃金を確保するために新たな事業展開にも乗り出す。館ヶ森アーク牧場(一関市藤沢町)と共同で、みそを使ったスイーツや食肉加工品などのオリジナル商品を開発。2012年夏には陸前高田の復興のシンボルともなった「奇跡の一本松」を見に訪れる復興応援の観光客向けに、トレーラーハウスでしょうゆソフトなどを販売した。グループ補助金などの支援や、クラウドファンディングを使った資金調達も行い、2012年5月には一関市大東町の廃校跡地でしょうゆ工場の建設を開始。10月の竣工に合わせ、本社も陸前高田市に戻した。そして翌2013年2月、生き残っていたあのもろみを使ってしょうゆを初仕込みする。「200㎏のもろみの中には多種多様な菌がいて、10tの仕込みに対してうまく発酵するかどうかの保証はありません。自分たちの味が取り戻せるか、最後まで分かりませんでした」。そんな状態で約2年がたった。「ずっと香りが弱くて心配していたんですが、火入れをした途端に香りが出て、『あ、これはいい』と。ほっとしました」と笑顔を見せる。「奇跡の醤ひしお」と名付けられたそのしょうゆは2014年11月、その奇跡生き残ったもろみから生まれた「奇跡の醤ひしお」「奇跡の醤」東日本大震災を乗り越えたもろみと岩手県産大豆、小麦を使用。2年間じっくりと熟成させた、うまみが強い濃い口しょうゆ。昔のしょうゆ瓶をイメージしたボトルで「老舗の味の復活」を表現。もろみ醸造して漉こされる前の、しょうゆの元。菌や微生物が多く含まれ、その発酵の如何によって味が決まるため、東日本大震災を乗り越え、八木澤商店の伝統の味を再現するには不可欠であった。岩手32164

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