岩手・宮城・福島の産業復興事例集30 2019-2020 東日本大震災から9年~持続可能な未来のために
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東日本大震災後、自社の再建のみならず地域の中小企業のリーダーとして、津波で流された古里の再興に意欲的に取り組む株式会社八木澤商店の代表取締役社長、河野通洋氏。そのストーリーを描き出すには2011年3月11日以前に時計を戻す必要がある。2000年代前半、衰退する地域の中小企業の将来に危機感を抱いた河野氏は、気仙地域(大船渡市・住田町・陸前高田市)の経営者らと、地域の中小企業の活性化を考える岩手県中小企業家同友会気仙支部を発足する。「当時、地元は元気がありませんでした。景気や世の中のせいだという考えもありましたが、結局のところ地元企業の経営者が変革する努力を怠ってきた結果じゃないかと結論付けました。でも人的財産も含めて素晴らしいものはたくさんある。主体的に考え始めたとき、多くの可能性に気付きました」。全国の元気な中小企業を視察する中で、地元の人が「うちには◯◯(会社名)という会社がある」と誇らしげに語っている場面を何度も見た。「俺たちも努力して、地元の人にそう言ってもらえるような会社になろう」と気仙支部の仲間たちと話し、決めたことが一つある。「このまちで1社もつぶさない。リストラも無くそう」。それを合言葉に、例え悪い決算書であっても見せ合って、知恵を出し合い、短所を補い、長所を伸ばし、新しい商品やサービスも少しずつ生まれてきた。地域で仕事をしたいという地元の若者の受け皿になろうと、少人数だが新卒採用も毎年続けた。2011年春も2人の内定が決まっていた。そこに、大津波が襲う。八木澤商店は本社、蔵、製造工場のすべてが全壊、流出したが、河野氏はすぐに社員全員の雇用継続を決めた。何の当ても無い中での決断について、こう振り返る。「家を無くし、毎日遺体安置所で家族を探すという気のめいるような状況の中、従業員は『このままどうなってしまうんだろう』という思いでいた。そんなときに、『会社は継続します。今月の給料です』と渡すことができれば、ちょっとだけでも安心するんじゃないかと。そういう思いもあって、会社を畳むつもりはありませんでした」。陸前高田市では津波で非常に多くの会社が流された。それでも「このまちで1社もつぶさない」と決めていた仲間たちの決意は固かった。「どんなに苦しくても白旗は揚げないと宣言していた張本人ですから。地震だろうが津波だろうが、私が無理と言ったら総崩れになってしまうと思い、前を向きました」。被災から5日後には、陸前高田ドライビングスクールを拠点に、気仙支部の参加企業の社長、社員らと共に避難所や孤立した集落に救援物資地元企業を活性化し地域経済の衰退に歯止めを従業員の支えに即決した雇用の継続11復興への歩み[売上高(百万円)]※4〜翌3月20050001003004002010年4222011年●3月本社、蔵、製造工場が全壊、流失●12月しょうゆ加工品の製造を開始373●10月陸前高田市で本社兼店舗を再開一関市大東町に自社製造工場を建設2012年171●2月自社工場による製造開始2013年249●11月「奇跡の醤」販売開始2014年2742015年2602016年2612017年2492018年2542019年243(見込み)●「CAMOCY」オープン予定2020年陸前高田ドライビングスクール株式会社高田自動車学校が運営する自動車教習所。全国から届く救援物資の保管場所となったほか、復興支援に当たる自衛隊などの受け入れも行い初動対応の拠点となった。2030年[SDGs]2030年に向けて市内で作られるあらゆるものにゴールが設定され、誰もが地域の自然、資源、産業を持続的に発展させるという意識を持っているまちにしたい。特定のゴールを目指すのではなく陸前高田をSDGs先進地域に【目指していくゴール】復興五輪新分野/新市場/海外進出観光振興/地域交流拡大事業承継被災地での再生・創業/被災地への進出津波・原子力災害被災地域雇用創出企業立地補助金63

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