岩手・宮城・福島の産業復興事例集30 2019-2020 東日本大震災から9年~持続可能な未来のために
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「いつかは故郷に戻って起業し、いわき市に働く場所を提供したいと考えていました」。株式会社シンテック代表取締役の赤津和三氏が抱いてきた思いが、現実のものになったのが1996年。シンテックの創業だ。シンテックは「シンクロナイズド」と「テクニック」の合成語で、技術を駆使して、時代に合った製品を開発するとの意味が込められている。赤津氏は高校卒業後に大手電機メーカーに就職。神奈川県小田原市の工場でハードディスクなどの開発・製造に長年携わった。その経験で培った技術を生かし、シンテックでは3年をかけて電波腕時計用アンテナの製品化に成功。形状記憶合金の加工技術を使った業界初の製品で、マスコミにも取り上げられるなど評判を呼んだ。ところが喜びもつかの間、知的財産権の管理が不十分だったことから、アンテナの製造に関するノウハウが流出。受注を他社に奪われる事態に陥ってしまう。「特許管理の重要性を痛感しました」と赤津氏は振り返る。大きな挫折を味わった赤津氏だったが、2009年、歯科矯正用のワイヤーを作れないかとの依頼が舞い込んできた。「当社は、まったく新しいものをゼロから生み出すノウハウが潤沢とは言えません。しかし、異なる技術を組み合わせて新しい技術をつくり出すことにかけては豊富な経験があり、プロだと自負しています」と赤津氏。その得意技を活用して研究開発に取り掛かった結果、独自の表面加工技術を生かし、歯と同化するような色合いで目立ちにくく、かつ変色しにくい歯科矯正用ワイヤーを開発できた。以前の反省から、今回は関連技術の特許取得も忘れなかった。また、細線をより合わせてワイヤーを作る技術は、外科手術や骨折治療で骨をしばって固定するための体内固定用ケーブル開発にもつながった。従来の体内固定用ケーブルには体形の変化に適合できないという課題があったが、シンテックの技術は、骨をしっかりとしばり、かつ伸縮性としなやかさを持ったケーブルを可能にしたのだ。医療機器に求められる高度な安全性といった要件も順次クリアし、体内固定用ケーブルの製品化に向けた次のステップが見えてきた。東日本大震災に見舞われたのは、まさにそんなときだった。シンテックは津波には襲われなかったが、社屋が傾いたり、機械類が破損したりといった被害を受け、断水や停電もあって休業を余儀なくされた。赤津氏の実家は農業を営んでいて、赤津氏自身も仕事の傍ら米作りに取り組んできたが、その実家も水田も津波に流されてしまった。米作りは今も再開できないままだ。働く場所を提供したい故郷への思いから創業大きな挫折を乗り越えて医療機器の開発へ体内固定用ケーブル折れた骨を体内で固定するなど、さまざまな整形外科の治療で使用される直径0.03~2㎜の金属製ケーブル。体内での長期使用が前提のため、高度な安全性が求められる。09復興五輪新分野/新市場/海外進出観光振興/地域交流拡大事業承継被災地での再生・創業/被災地への進出2030年復興への歩み[2011年を100としたときの売上高(%)]※4〜翌3月●ISO13485認証を取得●第1種医療機器製造販売業許可を取得2013年2014年2015年●ドイツ・デュッセルドルフの展示会に初出展2016年●3月いわき市内に新社屋が完成2017年2018年●体内固定用ケーブルの販売を開始●12月株式会社福島民報社が主催する「第5回ふくしま産業賞」で金賞受賞2019年2011年●3月 東日本大震災の被害を受け2カ月間休業●7月課題解決型医療機器開発補助事業に応募2012年●医療機器製造業許可を取得150350010050200300[SDGs]2030年に向けて産学官のネットワークを活用して医療機器におけるイノベーションを生み出し、世界の医療産業の発展に寄与していく。産学官のネットワークを活用し医療機器のイノベーション目指す【目指していくゴール】津波・原子力災害被災地域雇用企業立地補助金25010015015516517522527535011253

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