岩手・宮城・福島の産業復興事例集30 2019-2020 東日本大震災から9年~持続可能な未来のために
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[SDGs]2030年に向けて大滝根山を最高峰とする阿武隈高地の山々が連なる川内村は、農業を主産業とする山村だ。東日本大震災では、沿岸から15㎞以上離れているため津波は免れたものの、福島第一原子力発電所で水素爆発が発生するとすぐに屋内退避地区に指定され、3月16日に全村避難が決定。そして1年弱がたった2012年1月31日、村は緊急時避難準備区域の解除を踏まえ、福島第一原子力発電所から半径20㎞圏外地域の帰村を宣言した。しかし福島第一原子力発電所の事故による避難を経験した村では、風評などの影響で屋外の農業が産業として成り立たたなくなる懸念があった。そこで村は、復興のシンボルになる新産業として「閉鎖型植物工場による農業」を始めることを決める。工場の運営主体として設立されたのが株式会社KiMiDoRiだ。 公益財団法人ヤマト福祉財団の助成金や、農林水産省および福島県の東日本大震災復興交付金を活用して建てられた工場では、放射性物質への不安を一掃すべく、クリーンルームに準じた環境で野菜の栽培から梱包まで行える設備が整えられた。クリーンルームとは、空気中のごみや微生物などの混入を防ぐように設計され、一定レベルの空気清浄度が確保された部屋のこと。放射性物質を含み得る粉じんや水、土壌を遮断した生産環境が作られたのだ。さらに、工場の稼働開始から1年間は工場内で野菜の放射能測定も行い、安全性を徹底した(現在は外部機関に定期的な測定を委託)。栽培する野菜を選ぶに当たっては30種類以上のレタス類を試験栽培し、最終的にコストパフォーマンスなどを考慮して主にリーフレタスと、バジルなどのハーブを作ることに決まる。販路確保は、KiMiDoRi設立に際して川内村と共同出資パートナーとなった、食品卸売業の株式会社まつのが担うことに。村と同社は、工場立ち上げに携わったコンサルタントを介してつながったという。こうして生産と販売の準備が整った。村の復興を託される形で設立されたKiMiDoRi。代表取締役を任されたのが早川昌和氏だ。バルブメーカーで植物工場用の部材販売などを行いながら、栽培の勉強も独自で行っていた。「バルブメーカーに勤務していたとき、千葉大学で植物工場などについて勉強していました。その中で、工場建設に関わったコンサル新しい農業の形を村の復興のシンボルに充実した設備が整うも設立当初から問題が発覚公益財団法人ヤマト福祉財団ヤマト運輸株式会社の社長・会長を務めた故小倉昌男氏が個人資産の大半を寄付する形で創設した公益財団法人。心身に障害のある人々の自立や社会参加の支援を中心に幅広い活動を行う。株式会社まつの外食業に向けて青果物や生鮮品、加工品などを供給する卸売業者。東京、大阪の自社流通センターを中心に全国の主要都市へ配達を行うルートを確立。生産者とのつながりも強い。2030年復興への歩み[売上高の推移(万円)]今後、植物工場で栽培された野菜のニーズは増えると予想される。先駆者として培ったノウハウを生かし、工場野菜の普及を目指す。消費者のニーズが高まる植物工場の野菜の普及※4〜翌3月●1月原発から半径20㎞圏外地域の帰村宣言●4月復興事業の一環として川内高原農産物栽培工場の建設スタート2012年9,643●10月川内村の避難指示解除準備区域を一部解除2014年12,542●蛍光灯栽培室2室のうち 1室半の照明をLEDに変更2018年●全面営業再開を果たしたJヴィレッジも 取引先に2019年2011年●3月福島第一原子力発電所の事故で川内村が全村避難に【目指していくゴール】復興五輪新分野/新市場/海外進出観光振興/地域交流拡大事業承継被災地での再生・創業/被災地への進出039,00015,00006,0003,00012,000●4月川内高原農産物栽培工場が稼働開始●5月工場の運営会社として株式会社KiMiDoRi創設2013年4,633●工場の本格稼働から3期目で 経営が軌道に乗る2015年10,560●6月残りの避難指示解除準備区域が解除川内村全域が区域外となる2016年11,1592017年12,30427

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