岩手・宮城・福島の産業復興事例集30 2019-2020 東日本大震災から9年~持続可能な未来のために
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株式会社シオン代表取締役の石川公一郎氏は東京都出身だが、祖父の代までは岩手県水沢市(現奥州市)で事業を展開していた。大学卒業後、日本石油株式会社(現JXTGエネルギー株式会社)に就職したが、ビジネスマンとして働くうちに「自分は何者で、何をなすべきか」を考えるようになったという。そんな思いに突き動かされ、各地を一人旅するようになると分かったことがあった。「どうやら自分は東北人の気質らしく、その中でも祖父が暮らしていた岩手の水が合うことに気付きました。そして漠然とですが、岩手の町を良くするコンサルタントになりたい、と考えるようになったのです」。退職を決意し、岩手県へのUターン・Iターン就職説明会に参加。1995年7月、フランチャイズチェーンを運営する株式会社みちのくジャパンに入社する。「当初の仕事はJASDAQに株式上場させることでした。その仕事をする中で、自分の進む道が見えていったような気がします」。2000年4月にみちのくジャパンを辞し、コンピューターシステムの開発・販売を行う株式会社ワイズマン(盛岡市)を経て2002年、公益財団法人いわて産業振興センターで起業支援スタッフの職に就いた。そこで石川氏は、2000年に発足した木材用自然塗料を製造する株式会社ナパスジャパンを支援することになる。しかし、ナパスジャパンの商品は想定通りには販売が伸びず、経営が破綻する。不幸な出来事だったが、それがシオンの立ち上げにつながる。「天然素材を原料とする木材用自然塗料にどれほどの市場価値があるのか、このときはまだよく分かっていませんでしたが、森林県である岩手で木材を扱う事業にはとても魅力を感じていました。それでナパスジャパンの事業を承継する形で、2003年9月、江刺市(現奥州市)でシオンを立ち上げました」。創業したものの、そう簡単には軌道に乗らなかった。「開発した商品がまったくといっていいほど売れず、大苦戦。自然塗料だけではやっていけないと住宅建築も手掛けたのですが、想定する成果は出ず、1年でやめました」。債務が膨らみ、岩手銀行から借り入れることで返済。銀行の要請もあって2006年2月、会社を現在の矢や巾はば町に移す。江刺時代の社員は全員退職し、矢巾町で新たに2人を採用するとともに、規模を縮小して、新天地での再スタートとなった。苦しい判断だったが、ここから徐々に社運が上向く。一つのポイントとなったのは、これまでの常識から離れ、新たな発想で木材用塗料と向き合ったことだ。「従来の塗料はシンナー臭くて、色も茶系の数種類しか無く、屋外で使用す「自分は何者か」探った末決めた岩手県への移住事業承継でシオンを設立逆転の発想で「U-OIL」商品化公益財団法人いわて産業振興センター1971年、岩手県内の中小企業の設備近代化推進のために発足。現在は被災中小企業施設・設備整備支援事業や、企業の人材育成研修などを中心にさまざまな支援を行っている。2030年復興への歩み[U-OIL、木守り専科の出荷数(kL)]※4〜翌3月13,0002011年●3月停電解消とともに事業再開復興五輪新分野/新市場/海外進出観光振興/地域交流拡大事業承継被災地での再生・創業/被災地への進出0110,00025,00005,00015,00020,000[SDGs]2030年に向けて10社を傘下に持つホールディング会社を創設。10億円の売上高を目指し、地域経済活性化に寄与する「100年貢献カンパニー」の土台をつくる。「社員のHappy」を大切に100年貢献カンパニーの礎つくる【目指していくゴール】●3月「U-OIL」の完成と市場導入2012年9,0002013年12,000●10月「U-OILハード」を開発2014年12,000●1月公的機関で屋外での耐久試験に合格し、「U-OILハード」を発売●3月「結の場」に参画し「大型ロビーチェア」の製作に協力2015年15,000●1月「U-OILスーパーハード」を商品化●7月新国立競技場の木製椅子の塗料として提案のチャンスを得る2016年18,000●10月「木守り専科(防炎)」・「木守り専科(耐候)」をそれぞれ市場投入2017年19,000●7月「木守り専科(防火)」の開発に着手2018年23,000●「木守り専科(防火)」商品化予定2020年25,000(見込み)●釜石鵜住居復興スタジアムに 「木守り専科(耐候)」が採用される2019年24,000(見込み)19

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