岩手・宮城・福島の産業復興事例集30 2019-2020 東日本大震災から9年~持続可能な未来のために
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曙酒造合資会社は、1904年創業、会津坂ばん下げ町で100年以上続く蔵元だ。1990年代から吟醸酒の製造を本格化させ、外部委託の杜とう氏じ制をやめて造った「一生青春」が、1999年から3年連続して全国新酒鑑評会金賞受賞という輝かしい歴史を持つ。現在、経営を担っているのは、6代目、鈴木孝市氏(代表社員・製造責任者)。蔵元杜氏である母・明美氏が病気を患い、その後、営業部長の父・孝教氏も体調を崩したため、2007年、東京の一般企業で働いていた鈴木氏が蔵に戻ったのだ。蔵に戻る少し前、居酒屋で飲んだ実家の酒「天明」は明らかに味が落ちていて、鈴木氏は蔵の変調を悟っていた。蔵に戻った鈴木氏は、酒造りを一から学び始めた。「一生青春」を生み出した母・明美氏からは「酒は飲んで勉強するもの」と言われ、1年間に3,000種類もの日本酒をメモを取りながら飲むという“修業”の日々を送りながら、福島県酒造協同組合の酒造アカデミー職業能力開発校にも、3年間通った。「県の酒造アカデミーでは、同世代の蔵元の人たち、相談に乗ってくれる若い先生と出会いました。2年目、3年目には、酒類総合研究所の講習にも参加し、高い志を持った蔵元、蔵元の将来を背負って立つ優秀な従業員と出会い、本当にたくさんの刺激を受けました。その中で、私は生まれ変わったと思います。『このままじゃいけない』という漠然とした思いが確信に変わり、曙酒造の酒造りを変えていこうと決心しました」。当時の曙酒造は、ベテラン従業員の発言力が強くなり、統率が取れない状態になっていたという。「初めは『和わ醸じょう良りょう酒しゅ』の精神で従業員とうまくやっていくようにしていたのですが、なかなか良い酒ができません。それで両親に『頭を下げてベテラン従業員には辞めてもらおう』と話したのですが、納得してもらえませんでした」。鈴木氏は「もめてもいいから、自分の信じた酒造りをする」と決意するのだが、従業員にその決意を伝えないまま3月11日を迎えた。東日本大震災によって、製造設備のある建物3棟がすべて半壊。出荷前の酒3,000本も被害に遭った。さらに、福島第一原子力発電所の事故で、地震とは別の緊張にも包まれた。当時、鈴木氏は、「どの蔵に頼って再起を図ろうかということまで考えた」という。結局、曙酒造に影響はなかった2007年、実家の蔵に戻り一から酒造りを学んだ地域に何かを残せる蔵にしていこうと決意した全国新酒鑑評会1911年から続く、全国規模で開催される唯一の清酒鑑評会。107回目となった2018年製造年度の鑑評会には857点が出品され、そのうち金賞を受賞したのは237点だった。「和醸良酒」「人の和をもってしてこそ、良い酒が醸される」という意味で、酒造りを表現する言葉として、日本酒の世界ではよく使われる。「良い酒が人の和を醸す」という意味合いでも、使われる。20復興五輪新分野/新市場/海外進出観光振興/地域交流拡大事業承継2030年復興への歩み[醸造量(石)]※4〜翌3月6001,20004002008001,000[SDGs]2030年に向けて目標は、従業員の子が「私も働きたい」と思う会社になること。そのために、働きやすく働きがいのある、地元に愛される蔵元を目指している。家族に誇れる酒蔵に【目指していくゴール】被災地での再生・創業/被災地への進出●11月6年目の「一番しぼりを楽しむ会」開催。400人以上が集まる2019年1,150(見込み)220(見込み)●「天明」の最高峰「掌玉」を10年ぶりに発売●3月県清酒鑑評会で「天明」が知事賞受賞2018年1,100200グループ補助金2012年100550●「天明」の山廃仕込み 「焔(HOMURA)」発売2013年113585●11月この年から「一番しぼりを楽しむ会」を開く。初年度の参加者は83人2014年1206502015年130720●3月県清酒鑑評会で「一生青春」が知事賞受賞2016年1607952010年50002011年●5月「ハート天明」発売●6月「Snowdrop」発売●11月「天明 中取り零号」発売500202017年180860清酒リキュール105

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