岩手・宮城・福島の産業復興事例集30 2019-2020 東日本大震災から9年~持続可能な未来のために
102/145

ていたため、素直に気持ちを伝えた。しかし建夫氏の答えは、「今やめたら建物も土地もほかの人のものになってしまう。それだけは避けたい」。そう聞いて頭をよぎったのは、生徒たちの姿だった。「学校が再開されたときにタカノ楽器がなかったら、うちで音楽や勉強をしていた子どもたちが困るかもしれない。続けなければいけないのではないか、という思いが強くなりました」。継続を最終的に決断したのは、被災から約1カ月半がたったゴールデンウィークだった。タカノ楽器が再開を決めたといううわさを聞いて、生徒の親たちからすぐにたくさんの電話がかかってきたのだ。「避難先で別の教室に通い始めたが、先生が違うから嫌だと帰ってきてしまう」「南相馬市では進学校に進めると思っていた子が、避難先の自治体では進学校は難しいと言われた」。悲鳴にも近い声が次々と届いた。当時、学研教室は安全を確保できれば責任者の判断で再開できることになっていた。判断に迷っていたとき、ある生徒に痛烈な言葉を浴びせられる。「努力したってどうにもならないことがあるじゃないか!」。「私は日ごろから子どもたちに、努力をしなさいと言い続けてきたんです。でも、避難生活で苦しい思いをしている男の子からそう言われて、はっとしました。受験を控えている子どもたちは、避難生活を強いられているとはいえ立ち止まっている時間は無い。子どもがそんな思いでいるのに、大人が下を向いていてはいけないという気持ちになり、『私がなんとかする!』と宣言して早期に教室を再開できるよう動き始めたんです」。避難先の福島市で教室を再開できるようにと物件を探し始めると、偶然にもかつて楽器店だった空き物件を紹介してもらえることになる。福島市で音楽教室と学研教室を再スタートできたのは2011年10月のこと。南相馬市に隣接する浪江町から避難していた人も多かったため、すぐに昔と変わらぬ光景が戻ってきた。11月には南相馬市の教室も再開。教室で音楽や勉強に励む生徒たちの姿がまた見られるようになった。教室を再開するも拠点が大幅に減ったことで苦しい財務状況が続き、今後の事業計画を立て直すことは必須だった。そんな折、家事代行サービスへの新参入を思い付く。きっかけは、育児休暇明けの仕事復帰を予定している女性が、「義母に子どもの送迎などをしてもらえることになってはいるが、毎日はお願いできない。これから家事をやっていけるか本当に心配なんです」と髙橋氏の前で涙をこぼしたことだった。「彼女のように困っているお母さ今も心に刻まれている教え子が放った衝撃の言葉新規事業にも挑戦しながら音楽を広げる種まきは続く「家事の応援隊KOMAME」タカノ楽器が福島市内で展開している家事代行サービス。仕事と子育てを両立する母親はもちろん、買い物や掃除が困難なお年寄りまで、幅広い世代の人を対象に家事全般を代行している。福島2431102

元のページ  ../index.html#102

このブックを見る