岩手・宮城・福島の産業復興事例集30 2019-2020 東日本大震災から9年~持続可能な未来のために
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福島県の浜通り北部にある南相馬市。中心部の原町区にある合資会社タカノ楽器は70年以上の歴史を誇る老舗楽器店だ。1946年、楽器販売や調律を手掛ける高野屋楽器ラジオ店として創業し、1957年にはヤマハ株式会社と特約店契約を結んでヤマハ音楽教室を始める。レコードや楽譜など音楽関連商品を幅広くそろえ、多くの地元住民に親しまれてきた。現代表の髙橋純すみ氏は、前代表・高野建夫氏の娘。小学校では器楽部でバイオリン、中学校から大学までは吹奏楽部などでオーボエの演奏に熱中していた。「私が学生だったころ、当時の原町市(現 南相馬市原町区)では一つの学校に吹奏楽部員が100人前後もいて、『吹奏楽王国』とも呼ばれていたんです。うちの教室に通っている生徒の親御さんにも、吹奏楽をしていた人や、うちの店で楽器やCDを買ってくれた方もいらっしゃいます」。大学卒業後は地元に戻って家業に入ると、新事業を立ち上げる。株式会社学習研究社(現株式会社学研ホールディングス)と契約を結び、学研教室をスタートさせたのだ。「この辺りは塾が少なかったので、音楽だけでなく学習面でも子どもたちをサポートできればと始めました」。キャッチフレーズも「音楽のことならタカノ楽器」から「お稽古事もタカノ楽器」に拡大。東日本大震災前には、本社のある南相馬市から南へ約40㎞離れた富岡町までの間に8拠点を構え、音楽教室には約700人、学研教室には70人の生徒が通うまでになった。東日本大震災では会社の床にひびが入るなどの被害はあったが、電話以外のライフラインは止まらなかった。そのため、数日もたてば日常は取り戻せるだろうと思っていたという。本社は沿岸部から5㎞以上離れており、津波被害の大きさをまだ実感していなかったのだ。しかし、教室の講師や生徒の安否が分からないまま、福島第一原子力発電所の事故が発生。代表を務めていた父・建夫氏の持病の治療が地元の病院ではできないと告げられ、避難を決めた。その後1カ月がたっても避難生活が続いたため、髙橋氏は会社の継続について、ある決意を持って建夫氏と話した。「店を畳むことも選択肢に入っていました。あれだけの被害に遭ったわけですから、ここでやめても誰も責めないだろうと」。いずれ代表を継ぐことが決まっ音楽と学習の両面で地元の子どもたちをサポート廃業を検討するも父の言葉で継続の思い強く192030年南相馬市には大手予備校も無く、子どもの学習環境が整っているとはいえない。音楽も含め、子どもたちにより良い教育を提供していく。教育格差が大きい地域だからこそ自分たちが担う役割は大きい【目指していくゴール】ヤマハ音楽教室全国に約3,000カ所ある老舗音楽教室。子どもたちが自然に音楽を楽しめるようになることをモットーに「きく、うたう、ひく、よむ、つくる」という流れのカリキュラムを展開している。学研教室0歳児から高校生まで、幅広いジャンルで学習指導を行っている老舗学習塾。学校の授業の進度や学年にとらわれない、子どもたちに合った個別指導・個人型教材で学力向上を後押しする。復興五輪新分野/新市場/海外進出観光振興/地域交流拡大事業承継被災地での再生・創業/被災地への進出復興への歩み[売上高(千円)]※10〜翌9月グループ補助金株式会社東日本大震災事業者再生支援機構による債権買取60,000150,000030,00090,000120,0002010年130,5632013年43,4862011年●3月福島第一原子力発電所の事故を受け避難●10月ヤマハ音楽教室、学研教室再開58,320●7月家事代行サービス「家事の応援隊KOMAME」スタート2014年45,936●1月福島市荒井に荒井教室開設2012年36,149●6月本社社屋がリニューアルオープン2015年59,728●10月髙橋氏が代表に就任2016年66,0252017年80,8102018年84,629●10月南相馬市のショッピングセンターでヤマハ音楽教室を新たにオープン2019年85,331(見込み)[SDGs]2030年に向けて101

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