被災地での55の挑戦 ―企業による復興事業事例集―
39/146

26 り組ませた。当初は味もまずく、担当社員も試行錯誤の連続であったが、1年近くを経た頃には開発コンセプトを満たし、かつ味も美味しい試作品が出来上がった。こうして当社は生キャラメルの開発に成功した。 2009年5月、郡山商工会議所の地域活性化事業「郡山駅前チャレンジショップ」を活用し生キャラメル専門店を出店、販売を開始した。今までにない食感を持つ当社の生キャラメルの評判は口コミなどで高まり、電子部品メーカーが手掛ける珍しさも加わって百貨店のバイヤーの目にも留まるようになった。同年10月に仙台市の百貨店への催事出展、2010年1月にはついに東京の老舗百貨店の催事出展を果たし、以降も首都圏の有名百貨店から次々と依頼が舞い込んだ。マスメディアの取材も増え、当社の話題性も高まった。同年10月の郡山駅前の直営店「郡山表参道カフェ」オープンや、国際線ファーストクラスの機内食採用など、事業は拡大していった。 '3(チャレンジ'挑戦( 震災は当社に試練を与えた。原発事故の影響により、生キャラメルの主原料である福島県産の生クリームや牛乳が使えなくなった。牛乳は2011年4月に製造再開されたが、県内唯一の生クリーム製造元が事業から撤退してしまった。このため止むを得ず生クリームの原料切り替えを決め、全国各地から調達することになった。福島県産の原料を使った元々の味に近づけるために生クリームの調合を繰り返した結果、ほとんどの商品に関して震災前の味を再現できた。ただし素材本来の味がでる「プレーン味」はどうしても再現できず、最も味が近かった北海道産生クリームを使った商品を「ノースミルク味」としてラインアップに加え、「プレーン味」は福島県産の生クリームで作りたいとの思いから生産休止とした。こうして、震災から2ヶ月を経て、何とか製造再開にこぎついた。 同年5月以降、東京進出の契機となった老舗百貨店での1ヶ月間限定の出店をはじめとし、当社は各地の百貨店等の催事やイベントに積極的に出展した。だが、顧客の中には福島県産ということで露骨に拒絶する人もいた。織田社長は、「当社の商品の本質について、風評被害のない場所でしっかりした評価を受けたい」との思いを強くした。そして当社は、スイーツに関わる企業や職人であれば誰でも知っている、スイーツの本場フランスのパリにて毎年開催される世界最大級の展示会「サロン・デュ・ショコラ」への出展を目指すこととした。だが、日本国内から出展する事業者は尐なく、出展の伝手を探すのは容易ではなかった。多くの関係者を訪ねた結果、被災地支援で福島県に訪れたことがあるフランス人パティシエと出会い、同氏の紹介を受けて2012年11月に出展を果たした。当社の生キャラメルは来場者の評判を集め、著名なショコラティエやパティシエ達も評判を聞きつけて当社ブースを訪れるほどであった。翌年は主催者から直接出展打診を受けるなど、当社の商品は世界最高峰の展示会でその品質を認められた。当社商品の高い評価を背景に、2013年には東京駅前の新商業施設「KITTE」や福島駅ビル「エスパル」に直営店がオープンするなど、当社のスイーツは震災前の勢いを取り戻し、多くの人に美味しさと喜びを与えている。 '4(エッセンス'大切なこと( 当社は、参入障壁の検討や自社ノウハウの応用可否など、緻密な分析と戦略に基づき、電子部品製造業からスイーツづくりに挑戦した。震災によって生じた困難にも、'止むを得ずではあるが(いち早く原材料を切り替えて対応するとともに、風評を撥ね退ける世界的評価を獲得し、自社商品のブランド価値を向上させている。こうした取り組みを、織田社長は従業員や地域を大切にする熱い思いと未来への希望を持って実行している。本事例は、自社の生産工程における特徴や強みをよく分析すれば、一見畑違いの事業領域とも思えるものづくり分野であっても、応用展開が可能であることを示している。郡山市一帯は古くから交通の要衝として栄えるとともに、福島県を代表する菓子の産地でもある。当社は2014年、郡山市内に製造・物販併設のファクトリーショップをオープンする計画にあり、織田社長は「当社のスイーツで地域に人を呼び、活性化する仕掛けを作りたい。郡山を交通の要衝・お菓子のまち神戸と同じようにしたい」と希望を語る。

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です