S・M 氏
当時30代、主婦、A市在住。
持ち家・戸建てを流失。
当時30代、主婦、A市在住。
持ち家・戸建てを流失。
地元での防災集団移転を考えたが、義父母の希望と子どもの思春期を考慮し、別の場所に建売住宅を購入。流失した自宅は震災の前年にローンを完済後、地震保険を継続していたため保険金が下り、自宅再建に充てることができた。実母を亡くし、今でも家族を喪う恐怖に強い不安を抱えている。
自宅が流されて基礎だけになってしまったので、近所の山の上にある火葬場に避難しました。4~5日ぐらいいたと思います。その間、夫が迎えに来てくれてB町のB中学校の体育館に避難して、そこでも1週間ぐらい過ごしました。
C町にいるおじさん(おばの夫)の息子さんが私たちを探しており体育館に迎えに来てくれました。それからはおじさんの家にお世話になりました。家族みんなで家に来いと言ってくれたのですが、義父母と子どもたちはD県にいる夫の妹の嫁ぎ先に置いてもらえることになったので、私と夫だけ、おじさんの家に行きました。
5月までおじさんの家にいて、6月からEの借り上げ住宅に家族全員で入りました。ただ、そこも浸水してかなり傷んでいたので、掃除をしながら、部屋を乾かしながら入った状態です。茶の間と台所、座敷、裏座敷の4部屋あるのですが、全部6畳間で、寝室にできるのが座敷と裏座敷の2部屋だけだったので、1部屋を義父母の寝室に、1部屋を私たち夫婦と子どもたちの寝室にしました。その後、現在住んでいる家に移りました。
はい。建売住宅を購入しました。インターネットで家を探すのですが、なかなかいい条件のものが見つかりませんでした。当時、何を買うにしても詐欺みたいなものがたくさんあって、吟味するのにすごく神経を使いました。
義父母が元気なうちに家が欲しかったのです。子どもたちがちょうど思春期で、それを考慮すると、長期間の借り上げ住宅の生活に無理を感じていました。いくら国からお金が出ていても、被災したために貸して頂いた家に住むというのは、毎日の生活が不安で落ち着きませんでした。汚してはいけないとか、荷物を増やすと移れるようになった時に大変だとか、いろいろなことを気にしてすごく窮屈でした。周りの人には良くしてもらいましたが、震災前の住居より現在住んでいる家のほうが夫の職場からも近いですし、とにかく家族が早く落ち着いて生活できるようにと思い、現在の場所に住むことを決めました。
私たちが津波で被災した震災前に住んでいた土地に再度住むことを選択してしまうと、将来、私たちの子孫が津波に巻き込まれる危険を感じていましたので、夫ともそれはどうしても避けたいという相談をしていました。
インターネットです。震災後の生活を送るなか、金銭面でも不安がありましたのでまずは中古住宅のサイトを見ました。見ているうちに新築の広告が入ってきて、震災前の住所から近い所を探していたら、現在住んでいる地域が出てきました。
流された家の地震保険のお金を頭金にすることができました。地震保険がなかったら、今頃、持ち家はありません。
主人は自動車の整備士なのですが、職場が被災してしまって、しばらくは泥かきに毎日通っていました。工具も機械も駄目になってしまったので、整備の仕事を再開するのに半年ぐらいかかっていたと思います。
語り部の活動と趣味です。語り部で外に行くと、一人にならなくて済みますし、余計なことを考えなくていいので救われています。
母の遺体の取り違えがあって、探すところから始めなければいけなかったことです。まだ小さい子どもたちの世話と、震災以降弱っていく義父母の生活の手助けも必要でした。
ある日突然、津波で家族を亡くしたので、子どもや夫が急にいなくなることに大変不安を感じます。借り上げ住宅で昼間に一人で留守番しているとき、子どもたちが学校に行っている間に何かあったらどうしよう、夫が仕事で何かあったらどうしようと考えてしまって、すごくつらかったです。家族がいなくなってしまったら、本当にどうしようかと思います。
自宅再建に関しては、やはり地震保険に入っていたことです。災害などで住処をうしない、その後の自宅再建を考える場合、地震保険があれば大きな助けになると思います。
被災した後、市役所や警察また仕事関係や金融機関、教育機関などに問い合わせをする機会が多くなりました。その際電話で問い合わせをするときは、言われたことを逐一声に出して、「遺体が上がっているんですね。青果市場にも遺体が行っているんですね。何時から入ることができるんですね」と確認するようにしていました。被災直後はどうしても興奮して話してしまうので、後から家族に「何と言われたの?」と聞かれても細かいことまで答えられないのです。ですから、言われたことをその場でオウム返しに声に出して通話しました。そうすると後ろで聞いている家族にも情報共有できるので聞き洩らしや聞き違えが少なく助かりました。今後の参考にしていただけたらと思います。
佐藤 翔輔(東北大学災害科学国際研究所)