5章
住まいとまちの復興
5節 道路
1.被害の概要
東日本大震災による道路損壊箇所は4,198箇所であり、道路が寸断された結果、約1万6,000人が孤立したとされている。直轄国道においては、国道45号で22区間の通行止めが発生し、陸前高田市の気仙大橋(橋長181.5m)をはじめ5橋の上部工が流失したほか、落橋に匹敵する致命的な被害を受けた橋梁が2か所あった。
2.応急復旧
国土交通省東北地方整備局は、(社)日本土木工業協会等と締結していた協定に基づき地元の建設会社、陸上自衛隊、警察等と連携し、震災翌日の平成23年3月12日から緊急車両だけでも通行可能となるよう、道路上のがれき除去や簡易な段差修正等により救援ルートを開ける「道路啓開」を実施した。
震災直後に、東北自動車道及び国道4号から太平洋沿岸主要都市への啓開ルートを16ルートに集約し、第1段階においては道路啓開に集中して救援道路を確保した(「くしの歯作戦」)。一般車両の通行確保のための応急復旧工事は、その後第2段階で実施した。震災翌日には11ルートの道路啓開を完了し、同15日には15ルートに達した。国道45号等の太平洋沿岸に沿った縦方向の道路啓開も併せて推進し、震災発生から1週間後の同18日には、97%が通行可能となった。

今回、道路啓開が短期間で終了した理由としては、以下の3点が挙げられる。
① 橋梁の耐震補強対策により被災が小さかったこと
阪神・淡路大震災での道路の被害を踏まえ、これまで東北地方整備局管内490橋の耐震補強対策を実施してきた結果、落橋などの致命的な被害を防ぐことができた。
例:国道13号福島西道路(福島市)吾妻高架橋、泉高架橋
② 「くしの歯作戦」により、16ルートの道路啓開に集中したこと
震災直後に内陸から被災地への啓開ルートを「くしの歯」として集約した16ルートを明確にしたことにより、集中的に点検・調査を実施し、道路啓開を優先した。
③ 災害協定に基づき地元建設業等の協力が得られたこと
沿岸部の国道45号等の道路啓開については、建設業界と事前に災害協定を締結しており、震災直後から地元建設業等の協力が得られた。(地元建設業や内陸部建設業 全52チーム)

3.復旧・復興
(1) 国による道路事業
1) 復旧工事
前述の通り、震災翌日から東北地方整備局により道路啓開が開始された。啓開が進んだ箇所から順次、応急復旧が開始され、震災後1週間で約7割の復旧が終了した。震災発生から1か月経過した平成23年4月10日に、国道6号いわき市四倉町~久之浜町間(延長:約4㎞)の応急復旧が完了し交通開放したことにより、迂回路利用区間を含め全42区間(原発規制区間を除く)の通行が確保された。これにより、東北地方整備局管内の国道45号仙台市~青森県境間(三陸道含む)延長481㎞、国道6号茨城県境~仙台市間延長126㎞(原発規制区間を除く)の計607㎞が通行可能となった。
今回、道路の応急復旧が短期間で終了した理由としては、以下の3点が挙げられる。
① 緊急随意契約の活用による迅速な工事契約
災害時の特例である「緊急随意契約」(会計法第29条の3第4項)を活用し、事前に締結していた災害協定をもとに啓開工事を建設業者に依頼し、承諾書を受領した時点で工事着手を可能とした。また、管内において震災発生時に施工中であった工事に対し、原則中止命令の通知を行うことにより、被災地に資材や人材を集中し、応急復旧に全力を向ける体制を確保した。
② TEC-FORCEによる迅速な情報収集
東北地方整備局及び全国の整備局の応援(TEC-FORCE)が、震災翌日から職員を現地に派遣し(ピーク時(3月16日)には63班255人が出動)、マイクロ通信回線(国交省独自回線)、衛星通信車、Ku-SAT、照明車等を活用して被災状況を速やかに把握した。それによって、復旧対策の早期検討が可能となった。
③ 工法等の工夫
津波により被災を受けた橋梁において、応急組立橋3橋(うち2橋は国交省所有、1橋は自衛隊所有のものを活用)を速やかに設置し、早期の通行を確保した。
また、津波により被災を受けたJRとの立体交差部において、線路上の仮設盛土についてJRの了解が得られたため、短期間で仮設道路を整備することができた。盛土流出箇所における盛土材の早急な確保に当たり、近隣の工事用残土を活用した事例もあった。
被災状況(平成23年3月15日) | 復旧状況(平成23年4月4日) |
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2) 復興道路・復興支援道路
a. 事業概要
三陸沿岸地域の高規格幹線道路は、厳しい財政状況の中、震災発生時点では釜石山田道路(三陸縦貫自動車道)や仙人峠道路(東北横断自動車道)など一部区間の開通にとどまっていた。そのため、発災直後は被災した国道45号の迂回や混雑等により、仙台から宮古まで7時間以上もかかっていた。
一方、三陸縦貫自動車道のルートは過去の津波を考慮して高台に計画されていたため、地震や津波の被災を受けず、緊急輸送等に大きく貢献した。今回の震災においては、道路が人的支援や物資輸送の緊急輸送道路として機能したほか、津波からの避難場所や津波浸水の拡大防止にも寄与し、副次的に防災機能を発揮した。例えば、岩手県釜石市の小中学生約570人が一人の犠牲者も出すことなく避難した「釜石山田道路」や、盛土構造の道路上に約230人が避難し難を逃れた「仙台東部道路」などが、その一例である。
平成23年6月25日に開催された東日本大震災復興構想会議において、地域活動を支える基盤強化のため、三陸縦貫自動車道などの緊急整備に関する提言がなされた。これを受けて、ルートを具体化する作業を同年7月から着手し、関係市町村や沿道住民への意見聴取を経て、8月末にルートの確定に至った。9月から10月にかけて事業評価手続を実施し、11月21日の第三次補正予算成立により、三陸沿岸道路(三陸縦貫自動車道、三陸北縦貫道路、八戸・久慈自動車道)が「復興道路」として、また、宮古盛岡横断道路(宮古~盛岡)、東北横断自動車道釜石秋田線(釜石~花巻)、東北中央自動車道(相馬~福島)が「復興支援道路」として位置付けられ、事業化された。更に、宮城県が事業主体のみやぎ県北高速幹線道路も、2期区間が平成23年度、3期区間及び4期区間が平成25年度に、「復興支援道路」として順次事業化された。
その後、後述の工事加速化の取組等の成果もあり、復興道路(三陸沿岸道路)は、令和3年3月の気仙沼道路(気仙沼港IC~唐桑半島IC)完成により宮城県内が全線開通、同年12月の野田久慈道路(普代IC~久慈IC)完成により、仙台から八戸までの約359kmが全線開通した。
復興支援道路については、宮古盛岡横断道路が令和3年3月の平津戸松草道路(平津戸・岩井~松草)、宮古箱石道路(川井~箱石)、宮古箱石道路(蟇目~腹帯)完成により全線開通、東北横断自動車道釜石秋田線(釜石~花巻)が平成31年3月の釜石JCT~釜石仙人峠IC間完成により全線開通、東北中央自動車道(相馬~福島)が令和3年4月の相馬福島道路(霊山IC~伊達桑折IC)完成により全線開通した。更に宮城県が事業主体のみやぎ県北高速幹線道路も令和3年12月に全線開通した。
上記の通り、復興道路及び復興支援道路は、令和3年12月の三陸沿岸道路の全線開通をもって、全長570kmの整備を完了した。

b. 加速化の取組
ア) 復興道路会議の設置
東日本大震災からの復興に向けたリーディングプロジェクトとなる復興道路等の早期完成を図るためには、全ての関係者に対する事業進捗への合意形成と、関係機関の一体的な連携が、諸課題の解決に向けて必要不可欠であった。そこで、岩手県、宮城県、福島県それぞれにおいて、県知事、関係市町村長、地元経済界代表等から構成される「復興道路会議」を設置した。各県ともそれぞれ7回開催され、事務局は国土交通省東北地方整備局と各県が務めた。
【開催実績】
岩手県 平成23年11月15日~平成29年6月19日(計7回)
宮城県 平成23年11月25日~平成29年6月20日(計7回)
福島県 平成23年11月26日~平成29年6月27日(計7回)
イ) 設計コンセプトの策定
三陸沿岸道路は、供用区間が部分的であった今回の震災においても、「命の道」として機能を発揮した。平時には暮らしを支え(医療サービス、産業、観光)、災害時には命を守る(避難、救命救急、復旧)機能を持った道路整備が求められる一方で、厳しい財政状況を踏まえ、整備に当たってはより一層の効率性が問われた。そのため、以下に挙げる6つの設計コンセプトを定め、被災地復興のリーディングプロジェクトとしての整備を促進した。
① 強靱性の確保
津波浸水区域を回避したルートを設定するなど、今回の震災規模の津波に対しても道路が寸断されることなく交通機能が確保されるよう、強靱性を確保する。
② 低コストの実現
地域の交通状況や土地利用状況を踏まえ、従来の4車線・トランペット型ICから2車線かつコンパクト型のICに見直しを図る。
③ 復興まちづくりの支援
高台等に計画された復興まちづくりへのアクセス性や利便性が確保されるよう、ルートやICの位置を定める。
④ 拠点と連絡するIC等の弾力的配置
水産業や商工業施設、防災拠点施設等へのアクセスや病院への緊急車両出入り口の設置等、ICを弾力的に配置する。
⑤ 避難機能の強化
今回の震災で三陸沿岸道路が避難場所になった事例や、緊急避難路との直結等の要望が地域から多く寄せられたことを踏まえ、災害時の避難機能(避難階段の設置等)を強化する。
⑥ ICT(情報通信技術)による通行可能性把握
官民のプローブ情報等の活用を図り、災害時に通行可能なルートをドライバーに提供できるようにする。
三陸沿岸道路(釜石山田道路) | 三陸沿岸道路(山田道路) |






ウ) 事業促進PPPの導入
復興道路や復興支援道路については、被災地から早期整備の要望があり、その期待に応えるためには、事業期間の大幅な短縮が必要であった。
一般的に新規事業化の延長は数kmから長くても数十km程度であるのに比べ、今回の新規事業化区間は三陸国道事務所管内だけでも161kmにも達し、通常の新規事業10本分に相当する膨大な業務の実施が必要となった。
そのため、膨大な業務を効率的に実施し、事業期間を短縮できる仕組みの検討を進めた。事業期間を短縮するためには、通常6年余、早くても4年程度を要している工事着手までのいわゆる「川上」の期間を短縮することが必要不可欠であった。

「川上」の業務には、測量立入り説明、測量、設計、設計協議、関係機関協議、用地調査、用地取得、埋蔵文化財調査等の多様な業務が含まれる。
このうち、対外的な協議・調整や、民間に委託した設計業務等の執行管理など、専ら職員が実施している業務については、広範なエリアにわたり膨大な業務量が予想され、全国の地方整備局から職員が応援に駆けつけてもマンパワーが大幅に不足する状況が想定された。
そのため、民間の優れた技術力を「川上」で活用する方策について検討を進めた結果、事業促進PPPを導入することとした。民間技術者チームは、事業管理、調査・設計、用地、施工等のエキスパートで構成し、それぞれが連携しながら全体の最適な進め方を検討し、実施した。
事業促進PPPの具体的な業務内容は以下の通りである。
① 協議・調整
地元との設計協議、関係機関との協議 等
② 委託業務の執行管理
設計、調査等の委託中の業務の執行管理 等
③ 事業の進捗管理と提案
事業期間の短縮、事業の効率化に関する検討、提案
今回の事業促進PPP導入におけるポイントは以下の3点である。
1点目は、今まで発注者のみで行っていた工事着手前の測量、調査、設計、用地取得等のマネジメントに初めて民間企業を活用したことである。
2点目は、発注者と設計、施工等の民間技術者が協力して業務を遂行することで、多様な知識や経験の集約により、設計から施工まで様々な視点から見た効率的な事業推進が可能となったことである。
3点目は、新規事業区間をおむね10~20kmの工区に分割した上で、工区ごとに官民一体のチームが現地に常駐し、専任で事業マネジメントを担当したことである。


c. 整備効果
ア) 各路線での整備効果
復興道路・復興支援道路が整備されたことにより、三陸沿岸における各都市間の所要時間は大幅に短縮された。
三陸沿岸道路の全線開通により、仙台~八戸間が8時間35分から5時間13分、仙台~宮古間が5時間28分から3時間29分、仙台~気仙沼間が2時間50分から1時間59分となった。
また、各復興支援道路の開通によって、盛岡~宮古間が2時間から1時間26分、花巻~釜石間が1時間53分から1時間21分、福島~相馬間が1時間15分から52分となった。

計画段階から復興まちづくり事業との連携が図られたため、宮城県では約6割、岩手県では9割以上のICが、復興まちづくり事業地区から10分以内の位置に整備された。その結果、三陸沿岸道路のIC間の平均距離は4.6kmとなっており、利便性の向上により様々な整備効果をもたらしている。南三陸町志津川地区では、高台に計画された居住ゾーン等とのアクセス性に配慮して三陸沿岸道路のICを配置したことから、IC周辺に役場や病院、住宅等が整備され、新たな町の玄関口として発展している。
三陸沿岸地域へのアクセス性の向上に伴い、各地で新規企業の立地や設備等の増設が進み、被災前より法人市民税収入が増加した地域も見られた。例えば釜石市では、高速道路網の整備により遅配など商品流通のリスクが軽減されたことから、中心市街地に大型商業施設が進出するきっかけとなり、地元の雇用にも貢献した。
更に、港湾と高速道路ネットワークのアクセス強化により、物流の効率化が図られ、被災地の産業復興につながった。福島県相双地域においては、相馬福島道路の整備により内陸部へのアクセス性が強化され、相馬港背後圏への企業立地が進んだ。例えば、相馬港背後地に進出した鉄鋼加工メーカーは、納期短縮により山形県方面の顧客獲得や取引増加につながったほか、福島県中通りや山形県方面への輸送において1日に2往復が可能となり、製品輸送に必要な車両台数を縮減することができた。
また、復興道路・復興支援道路沿線には、震災以降、リニューアル5か所を含む計10か所の道の駅がオープンした(令和4年3月時点)。道路上からの案内を充実し、休憩サービスだけでなく様々な集客施設を併設することにより、賑わいの創出に貢献し、復興まちづくりとしての拠点を支援してきた。令和元年9月22日に開業した道の駅「高田松原」には、開業後2年弱で約100万人が来場した。



イ) 道路を活用したまちづくりの事例(陸前高田市)
三陸沿岸地域は、三陸沿岸道路の整備により、整備前に比べて仙台~宮古間が約2時間、宮古~八戸間は約1.5時間短縮し、都市間の所要時間が短縮された。陸前高田市においても、整備前に比べて仙台市との所要時間が約1時間短縮(約3.5時間→約2.5時間)された。
震災以降、陸前高田市もなりわいの再生が進められてきたが、人口の減少に加えて、被災元地の利活用など多くの課題が残されている状況であった。
陸前高田市では、そのような地域課題を解決するため、道路等のインフラ整備と併行して魅力あるまちづくりに取り組み、街の活性化を推進した。
高田松原津波復興祈念公園は、国、岩手県、陸前高田市の連携のもと整備が進められ、令和元年9月に公園内にある東日本大震災津波伝承館や道の駅「高田松原」等が開業し、令和3年12月に全面供用開始された。
東日本大震災津波伝承館では、被災物を展示するとともに、震災当時の東北地方整備局災害対策本部のモニター等をそのまま保存し、「くしの歯作戦」が展開された模様が理解できるように工夫された。令和2年9~10月に来場者に対して実施したアンケートによると、全体の約66%が岩手県外居住と回答しており、遠方からも多数来場していることが分かる。
また、令和2年8月に完成した高田松原運動公園では、同年10月に三陸花火大会が開催され、約1万発の花火が来訪客を魅了したが、三陸沿岸道路のネットワーク完成が大会開催の大きなきっかけとなった。陸前高田市は鉄道がなくBRTの輸送力では集客に限界があるため、大型イベントの開催に当たっては車移動による集客が不可欠であったが、三陸沿岸道路の開通により仙台市や岩手県内各地からツアーバスを利用して集客が可能となり、宿泊、飲食、交通など様々な分野で地域経済に貢献した。



ウ) 道路を活用したまちづくりの事例(気仙沼市)
気仙沼市は震災により壊滅的な打撃を受けた都市の一つであるが、被災地復興のリーディングプロジェクトとして整備されてきた三陸沿岸道路をはじめとする復旧・復興事業は着実に進んでおり、震災前のようなにぎわいを取り戻しつつある。これらの新しくできたインフラを活用し、復興の先を見据えた地方創生への取組を進めている。
三陸沿岸道路の整備効果は多岐にわたるが、気仙沼市が地方創生を掲げる上で恩恵を受けている産業面の効果としては、気仙沼市の基幹産業である水産業の振興が挙げられる。
三陸沿岸道路の整備は、気仙沼市の水産業の活性化に向けて以下のような効果をもたらした。
① 遠方市場への販路拡大
気仙沼漁港に水揚げされる生鮮カツオはその半分以上を関東に出荷しているが、鮮度が命の生鮮水産物にとって輸送時間の短縮は貴重である。
② 水産加工業の売上増
三陸沿岸道路が全線開通したことにより、三陸沿岸の各漁港で水揚げされ、気仙沼の工場まで水産加工用として輸送されているワカメやサケなどの輸送効率が向上した。
③ 通勤圏の拡大
三陸沿岸道路の全線開通に伴う通勤圏の拡大により、生産年齢人口が一定数確保できたため、気仙沼市への工場誘致において重要なセールスポイントとなった。
気仙沼市の水産加工業は東日本大震災により大きな被害を受けたが、これらの効果もあり、出荷額は震災前の9割程度の水準まで回復している。



(2) 県による道路事業(岩手県・宮城県・福島県)
1) 岩手県
岩手県では、東日本大震災での地震と津波による被害により、県が管理する国道・県道では50路線68か所が全面通行止となった。幹線道路である国道45号をはじめとする沿岸地域の道路は、がれきや冠水などで寸断され、また、津波により陸前高田市の気仙大橋(国道45号)などが流出した。
これを受け県では、平成23年8月に策定した「岩手県東日本大震災津波復興計画 復興実施計画(第1期)」において、「三陸復興道路整備事業」を位置付けた。災害に強く信頼性の高い道路ネットワークの構築を目的とした「復興道路」と併せて、内陸部から三陸沿岸各都市にアクセスする道路及び横断軸間を南北に連絡する道路等を「復興支援道路」、三陸沿岸地域の防災拠点や医療拠点へアクセスする道路及び水産業の復興を支援する道路を「復興関連道路」として新たに定義し、交通隘路の解消や防災対策、橋梁耐震化等を実施することとした。

また、「多重防災型まちづくり推進事業」の一環として、市町村のまちづくりと一体で「まちづくり連携道路整備事業」を推進した。
「復興道路」については、国直轄事業として三陸沿岸地域の縦貫軸と内陸部と三陸沿岸地域を結ぶ横断軸の高規格幹線道路・地域高規格道路の整備が促進されてきた。ここでは、県事業として整備を進めてきた「復興支援道路」「復興関連道路」を中心に、岩手県の道路整備の概要とその成果を述べる。
a. 復興支援道路
三陸復興道路整備事業のうち「復興支援道路」として位置付けられた国道281号など14路線においては、内陸部から三陸沿岸各都市にアクセスする道路、横断軸間を南北に連絡する道路及びインターチェンジにアクセスする道路について、交通隘路の解消や防災対策、橋梁耐震化等の事業が実施された。
ここでは代表的な整備路線として、一般国道340号(押角峠工区)の概要と整備効果を紹介する。
一般国道340号は、岩手県陸前高田市を起点とし宮古市や岩泉町を経由して青森県八戸市に至る、北上高地を縦断する幹線道路である。岩手県では「復興支援道路」に位置付けられているほか、「岩手県地域防災計画」においては「緊急輸送道路(第1次路線)」に指定されている。更に、「重要物流道路」の脆弱区間の代替路や、災害拠点への補完路となる「代替・補完路」として、平成31年4月に指定された重要な路線である。


本路線の宮古市と岩泉町にまたがる押角峠は、幅員狭小と線形不良、急勾配が多数存在し、冬期間には雪崩の発生等により通行止めが発生していた。
また、並行して走るJR岩泉線は、平成22年に発生した土砂崩落による脱線事故の影響等により廃線が決定し、バスによる代替輸送が実施されているが、鉄道に比べ所要時間を要するなど、安全で円滑な通行の支障となっていた。
これらのことから、岩手県では押角峠の幅員狭小、線形不良、急勾配、雪崩危険箇所等の解消を図る道路整備を進め、災害時における緊急輸送道路としての機能強化、代替輸送の円滑な交通確保、地域間の交流連携の促進を図った。
この道路整備の効果として、区間の延長が約6.1kmから約3.7km、所要時間が約18分から約4分と大幅な短縮につながったほか、幅員狭小、S字カーブ、急勾配、雪崩危険箇所の解消により、安全で円滑・確実な通行が確保され、緊急輸送道路としての重要な役割を果たすことが可能となっている。
また、当該地域の基幹産業である農業、林業における物流の効率化に寄与するとともに、国道340号は、北上山地を縦断する唯一の路線であり、当路線を活用した観光地へのアクセス向上による地域間の交流の促進が期待されている。
b. 復興関連道路
三陸復興道路整備事業のうち「復興関連道路」として位置付けられた主要地方道重茂半島線など22路線においては、三陸沿岸地域の防災拠点(役場、消防等)や医療拠点(二次・三次救急医療施設)へアクセスする道路及び水産業の復興を支援する道路について、交通隘路の解消や防災対策、橋梁耐震化等事業が実施された。
ここでは代表的な整備路線として、主要地方道重茂半島線の概要と整備効果を紹介する。
要地方道重茂半島線は重茂半島を周回する唯一の道路であるが、東日本大震災時、主要地方道重茂半島線の7区間では、地震・津波により道路の崩壊・浸水やがれき堆積、また落橋などが発生した。これを受け、主要地方道重茂半島線の7工区について、県は整備を進め、令和2年12月に全工区が完成した。
東日本大震災の津波で浸水した区域を回避した道路を整備したことにより、同規模の津波が発生した場合でも、各集落の孤立を防ぐとともに、緊急輸送路としての機能が確保された。
さらには、津軽石~熊の平区間では延長が約10.5kmから約7.4km、所要時間が約7分短縮(18分→11分)されたほか、平成31年3月に運行再開したリアス線津軽石駅へのアクセスも向上している。
また、道路の幅員狭小、S字カーブ、急勾配が解消され、安全で円滑な交通の確保とともに水産物の輸送路が確保された。

c. まちづくり連携道路整備事業
津波対策の基本的な考え方(海岸保全施設・まちづくり・ソフト対策)を踏まえ、津波等の自然災害による被害をできるだけ最小化するという「減災」の考えにより、安全で安心な防災都市・地域づくりを推進するため、平成23年8月策定の「岩手県東日本大震災津波復興計画 復興実施計画(第1期)」において「多重防災型まちづくり推進事業」が位置付けられた。同事業の一環として、津波により浸水した道路について、市町村が進める復興まちづくりと一体となった整備を実施し、道路機能の向上を図るため「まちづくり連携道路整備事業」が推進された。
ここでは代表的な整備路線として、主要地方道野田山形線(野田工区)の概要と整備効果を紹介する。
当該箇所は、東日本大震災により野田村の市街地が津波で浸水し、国道や県道等の主要幹線道路のネットワークが寸断されたことを踏まえ、事業延長1,500m(うち橋梁部65m)の整備を行うことにより、主要地方道野田山形線を浸水想定区域外に付替え、災害に強い道路にするとともに、野田村が進める城内地区防災集団移転促進事業(防集事業)と一体となったまちづくり支援を推進したものである。
この整備効果として、東日本大震災相当の津波でも被災しない避難路として、災害時の確実な緊急輸送や代替機能が確保されるとともに、これからの水産業等の復興を支援する災害に強い信頼性の高い道路ネットワークの強化が図られたほか、補助幹線道路としての機能が強化され、野田漁港から内陸部への物流ルートとしてアクセス性が向上し、物流の効率化にも寄与した。

2) 宮城県
宮城県では東日本大震災での津波により、道路や橋梁等の流出や道路閉塞が多数発生し、特に離半島部では孤立集落が発生するなど甚大な被害が生じた。県境部の道路では冬期通行規制で迂回を余儀なくされるなど、大規模災害時における道路の機能に大きな課題を残した。
これを受け、県では「宮城県震災復興計画」を策定した。その中で、土木・建築行政分野における分野別計画としては「宮城県社会資本再生・復興計画」が策定され、「次世代に豊かさを引き継ぐことのできる持続可能な県土づくり」に向けて、災害復旧事業および復興まちづくりの完成、創造的復興に向けた取組を推進した。

a. 防災道路ネットワークの構築
東日本大震災では、津波による道路や橋梁の流出や道路閉塞が多数発生し、離半島部では孤立集落が発生した。また、県境部の道路では、冬季通行規制で迂回を余儀なくされるなど、大規模災害時における道路の役割に大きな課題を残した。
これらの教訓を踏まえ、「沿岸縦軸の整備・強化(県土の骨格となる高速道路網の整備)」「東西交通軸の整備(地域の発展を支える広域道路網の整備)」「地域間連携を強化する県際・郡界道路の整備」「離半島部の災害に強い道路の整備」の4点を推進し、大規模災害時に有効に機能する防災道路ネットワークの構築を進めてきた。
「沿岸縦軸の整備・強化(県土の骨格となる高速道路網の整備)」においては、東日本大震災で大津波の影響を受けることなく通行が可能で、救急救命活動や緊急物資輸送などに重要な役割を果たした三陸沿岸道路について、沿岸部の防災道路としての位置付けをより明確にし,国直轄事業として加速度的な整備により早期の全線供用を目指した。
ここでは、県で事業を進めてきた以下の3点について事業概要および整備効果を紹介する。
ア) 東西交通軸の整備(地域の発展を支える広域道路網の整備)
震災初動期に東北縦貫自動車道や国道4号を出発点として、沿岸部に向かって道路啓開を展開した「くしの歯作戦」が示すように、南北(縦軸)ルートが有機的に機能するためには、東西(横軸)ルートによる相互連携が重要である。
そこで、沿岸部で整備が進む三陸沿岸道路と、内陸部の東北縦貫自動車道や国道4号を結ぶことで県北地域の東西交通軸の強化を図り、大規模災害時に早期の高規格道路での迂回ルートを確保するため、「復興支援道路」として、みやぎ県北高速幹線道路の整備を進めた。
全線約24㎞のうち、平成23年度にⅠ期8.9㎞、平成30年度にⅡ期4.7㎞、令和元年度にⅣ期1.7㎞が開通し、令和3年12月にⅢ期3.6㎞についても供用開始した。

みやぎ県北高速幹線道路が整備されたことにより、有事の際に三陸沿岸道路へ迅速かつ確実にアクセス可能となり、災害対応に大きな効果を発揮することが期待される。
また、内陸部と沿岸部の中間に位置する登米市への所要時間を短縮するとともに、市街地内の交通が減少することから交通渋滞が緩和され、交通事故も減少することが見込まれる。
宮城県では道路整備の進展により、沿道地域を含めた県域全体での企業集積が進んでいるが、このみやぎ県北高速幹線道路の開通によって沿道地域の更なる企業立地が進み、県全体への大きな波及効果が期待されている。登米市では、長沼第二工業団地や登米インター工業団地の造成が進んだほか、栗原市では築館インター工業団地が分譲され、完売している。
また、登米地域の中心である登米市役所から、第三次救急医療機関である石巻赤十字病院までの搬送時間が従来の約60分から約43分と17分短縮された。(多量出血の患者において17分の時間短縮により生存率が25%上昇。)


イ) 地域間連携を強化する県際・郡界道路の整備
震災後の沿岸部への物資輸送では、地域間ルートの被災により迂回ルートを選択せざるを得なかったことや、県境道路の冬季閉鎖により、隣接県からの物資輸送ルートが限定されたことなどから、交通集中と輸送の長時間化を招いた。
そこで、防災、産業振興、観光などにおいて、県境や郡界を越えた広域圏間の中心都市を相互に連携し、地域間交流の強化・拡大を図るため、基幹幹線道路の整備を推進してきた。地域連携の強化と複数輸送ルートの構築を目指し、国道398号石巻バイパス等の各道路整備を進めるとともに、通年通行化などによる隣県との連携強化が図られた。
宮城県と山形県を結ぶ一般国道347号は、県境の鍋越峠付近の道路が狭隘・屈曲である上、県内でも有数の豪雪地帯で雪害の危険性があることから、これまで冬期間は、峠を挟む延長17.7㎞区間を通行止めとしていた。東日本大震災直後、緊急物資輸送に利用できなかったことを契機に本路線の重要性が再認識され、冬期間でも災害時・緊急時に利用可能な輸送路として通年通行化を目指し、平成24年度から道路改良や防災事業が進められ、平成28年12月に完成した。
これによって、国道47号や国道48号を補完する東西の横軸連携の強化や、道路ネットワーク強化が図られるとともに、宮城県と山形県の交流人口拡大、雇用創出や観光振興等にもつながることが期待される。

ウ) 離半島部の災害に強い道路の整備
三陸沿岸リアス地域の離半島部は、道路が寸断され、道路啓開・応急工事によって道路通行が確保されるまで集落が孤立する事態となったことから、災害時の孤立解消と道路機能強化が求められた。
宮城県では、東日本大震災において一時的に孤立した地域である離半島部において、広域災害時のリダンダンシーを確保するため、防災道路の機能を有する新たなネットワークの整備を推進した。特に、被災地域と被災を免れた地域とを結ぶ道路が、避難路としての役割を果たすことを目指した。
県内最大の離島である気仙沼大島は、本土との交通機関が船舶のみであったことから、架橋の必要性が再認識され、大島浪板線大島架橋整備事業を推進した。本県が「復興のシンボル」として掲げる同事業は、平成23年度より事業が開始され、令和元年度に気仙沼大島大橋を含む5.5㎞の区間が供用を開始したことで、本土と気仙沼大島が陸路で繋がった。

b. 復興まちづくりを支援する道路整備の推進
復興まちづくりを支援する道路整備として、津波によって壊滅的な被害を受けた沿岸市町で進められる「復興まちづくり」を支援するため、「多重防御」の機能を有する道路や、防災集団移転地間を連絡する道路の整備を進めた。
多重防御に資する道路整備としては、一般県道荒浜港今泉線や主要地方道相馬亘理線などがある。太平洋沿岸部において被災した市街地や集落を連絡するとともに、津波被害への防御・減災機能を併せ持つ高盛土道路として整備された。
また、防災集団移転地間を結ぶ道路整備は、沿岸部のまちづくりの進捗に合わせて実施され、代表的な整備事例としては、南三陸町志津川地区のまちづくりに合わせて整備された国道398号志津川工区などがある。
3) 福島県
福島県は、浜通り沿岸全域が津波の被害に襲われただけでなく、東京電力福島第一原子力発電所の事故により、大規模自然災害と原子力災害が重なる複合災害が発生し、多くの住民が県内外への避難を余儀なくされた。
これを受け県は、平成23年8月の「福島県復興ビジョン」の3つの基本理念をもとに、同年12月に「福島県復興計画(第1次)」、平成24年12月に「福島県復興計画(第2次)」を策定し、復旧・復興に向けた道路整備を推進した。
「県土連携軸・交流ネットワーク基盤強化プロジェクト」に基づき、安全で信頼性の高い道路ネットワーク基盤の強化を図るため、東北中央自動車道(相馬福島道路)等の基幹的な道路の整備や、浜通りと中通り・会津地方をつなぎ、復興を支援する道路の整備が進められた。
また、避難解除区域等と周辺の主要都市等を結ぶ幹線道路を「ふくしま復興再生道路」と位置付け、重点的に整備を推進したほか、津波被災地における復興まちづくりと一体となった道路整備や、特定復興再生拠点等へのアクセス道路として「復興シンボル軸」等の整備が進められた。
なお、「ふくしま復興再生道路」に位置付けられた国道399号十文字工区(全延長6.2km)のうち、トンネルを含む3.3km区間については、道路管理者である県に代わって国土交通省が直轄権限代行事業として整備を推進した。関係自治体の首長からは、直轄権限代行が同区間の早期完成に寄与したことを高く評価する声があった。

a. ふくしま復興再生道路
福島県では、避難解除区域等の復旧・復興、住民の帰還の促進を図るとともに地域の持続可能な発展を促すために、避難解除区域等と周辺の主要都市等を結ぶ幹線道路を「ふくしま復興再生道路」と位置付け、8路線29工区で重点的に整備を進めた。
各路線の完成により交通の難所が解消され、都市間や重要施設へのアクセスが大幅に向上し、住民の帰還促進や物流の強化などに寄与している。このうち代表的な箇所として、県道いわき上三坂小野線(小名浜道路)の事業概要と整備効果を紹介する。
県道いわき上三坂小野線(以下「小名浜道路」という)は、福島県浜通りの南端にあるいわき市内の道路で、いわき市泉町からいわき市山田町に至る延長8.3kmの自動車専用道路である。重要港湾小名浜港と常磐自動車道を直結する道路となり、広域物流ネットワークを強化するとともに、小名浜港周辺の観光地へのアクセス道路として産業を支援する役割も担う。
小名浜道路は常磐自動車道と接続するICが1か所、県道と接続するICが3か所設置された。常磐自動車道との接続部を含む約2.5kmの区間については、NEXCO東日本に施工を委託した。
小名浜道路の整備効果として、常磐自動車道をはじめとする高規格道路網と小名浜港が直接結ばれることにより、福島県内すべての重要港湾及び空港が高規格道路で結ばれることとなる。常磐自動車道から小名浜港のアクセス時間が半分以下(29分から13分に短縮)となることで、国際標準コンテナの陸上輸送に当たり、迂回や積替えなどによるリードタイムやコストを抑制し、物流面から地域の活性化を支援する。
また、防災面からも、東日本大震災時に救急物資の受入港として大きな役割を果たした小名浜港と、緊急輸送路として被災直後から救援活動や緊急輸送を支えた高速道路ネットワークを直結させることで、大規模災害時の円滑な緊急輸送を確保することが期待される。


b. 津波被災地の復興まちづくりと一体となった道路整備
津波による甚大な被害を受けた福島県の太平洋側(浜通り)においては、復興まちづくりと一体となった道路整備が進められた。
被災した海岸堤防を嵩上げして背後地を防御し、区画整理や防災集団移転による住宅地造成と防災緑地の新設等を組み合わせ、「多重防御」による復興まちづくりが進められたが、道路整備においても復興まちづくりの計画と連携し、嵩上げ復旧が進められた。また、避難路の確保や情報伝達手段の拡充などによる、ソフト・ハード両面からの総合的な防災力の向上を目指し、整備を進めた。

代表的な路線である県道広野小高線は、浜通りを南北に縦断する路線であり、通称「浜街道」として浜通り地域の復興を支援する道路でもある。以下に、県道広野小高線の事業概要と整備効果を紹介する。
当該路線は、震災に伴い甚大な被害を受けた津波被災地域を南北に縦断する路線である。震災後、前述の「多重防御」の考えを取り入れながら、24工区に再編し事業を進めた。
県道広野小高線の整備効果については、本路線が通称「浜街道」として、太平洋の潮風を感じながら沿岸部を縦断する路線として地域に親しまれており、整備が完了した一部区間においてマラソン大会等のイベントに利用されるなど、地域の活力を支援する役割を担っている。
さらに、本路線沿いには、Jヴィレッジや復興祈念公園、福島水素エネルギー研究フィールド、福島ロボットテストフィールドなど、福島県の多様かつ重要な施設があることから、産業振興に加え観光や交流の面から復興を支援する道路として大いに期待されている。

c. 復興シンボル軸(井手長塚線・長塚請戸浪江線)の整備
「復興シンボル軸」は、帰還困難区域における避難指示解除を見据え、広域インフラの充実・広域連携の推進を図るために進めてきた、常磐自動車道の常磐双葉ICから県道広野小高線に至る全長7.1kmの道路で、常磐双葉ICから国道6号までの井手長塚線(5.0km)と、国道6号から広野小高線までの長塚請戸浪江線(2.1km)で構成されている。このうち、長塚請戸浪江線については令和2年7月に全線で供用を開始している。
本路線は、「双葉町特定復興再生拠点区域復興再生計画」において、常磐双葉ICから駅周辺市街地を通り、海岸部までを結ぶ復興拠点への東西のアクセス道路と位置付けられており、周辺で事業が進む居住市街地の整備、中野地区復興産業拠点及び福島県復興祈念公園などと一体となって避難指示区域内の復興の支援を目的としている。
復興シンボル軸の整備効果としては、JR双葉駅周辺の特定復興再生拠点区域における「新たな生活の場」の確保や既成市街地の再生、中野地区復興産業拠点の「新たな産業・雇用の場の創出」など、双葉町の復興を強力に支援することが挙げられる。
特に、現在、JR双葉駅西側地区で進められている、公営住宅及び分譲地の整備が中心の新たなまちづくりにおいて、避難者や移住者等へのアクセス向上に寄与する道路として必要性が高まっている。

4.事業実施に当たって発生した課題・対応等
(1) 事業実施に当たって発生した課題・対応
1) 迅速な応急復旧
東日本大震災では人・物流の要となる道路網が寸断された。発災直後は、人命救助や物資供給等の緊急車両等を通行させるために、早急に最低限のがれき処理等により救援ルートを設ける作業(道路啓開)も含め、迅速な応急復旧が求められた。
震災前に地元建設業者等と災害協定を締結していたことから、発災直後から建設業者の協力が得られ、迅速に道路啓開に対応することができた。また、啓開ルートを16ルートに集約し、集中的に工事を実施したことや、TEC-FORCE等を活用し迅速な情報収集を進めたことも迅速な応急復旧に貢献した。
2) 早期事業完了に向けた対応
平時には暮らしを支え、災害時には命を守るという機能を発揮するため、復興のリーディングプロジェクトとして、復興道路・復興支援道路の一日も早い完成が求められた。そのため、計画・設計から施工に至るまで、様々なフェーズでスピードアップのための取組が行われた。
具体的には、強靭性の確保、コスト低減、復興まちづくりとの連携等の観点から設計コンセプトを策定し、それに沿ってルートの設定やICの位置・形状等について、設計が進められた。
また、膨大な業務を限られた人員で効率的に実施するための「事業促進PPP」の導入、不足する資材(セメント)を安定的に供給するための生コンクリート仮設プラントの設置、建設業者の入札参加を促進した「復興係数」の適用等が、復旧・復興工事の進捗に大きく寄与した。
(2) 教訓・ノウハウ
1) 初動期
今回、建設業者等と事前に災害協定を締結していたことが、迅速な応急対応につながった。平時から、県・市町村、自衛隊、海上保安庁、NEXCO等、様々な関係機関と、非常時も想定した連携をしておくことが望まれる。また、災害時の燃料確保のため、石油会社と災害協定を締結しておくことや、光ケーブルの切断等によりリアルタイムの現地情報が把握不能になるリスクを想定し、衛星電話や衛星通信車を確保しておくことも有効である。
さらに、災害時にも通行可能なルートの構築のため、重要物流道路を整備したり、災害時に物資等を集積できる拠点として、道の駅を活用することも考えられる。
応急復旧に当たっては作業が迅速に行われることも重要であるが、その先の本復旧を見据えた検討にも留意が必要である。
2) 復旧・復興期
今回、各地で道路が命を守る機能を発揮したことを踏まえ、ルート設定の際に浸水想定区域を回避する等、災害時でも道路が寸断されることがないよう計画・設計段階で留意が必要である。
また、道路整備が生活利便性や産業振興、観光振興に資するよう、復興まちづくり計画と連携したルート選定やICの配置の検討が求められる。