復興庁復興庁
  • 文字サイズ
メニュー
閉じる

竹下復興大臣基調講演録[平成27年3月15日]

竹下復興大臣基調講演(国連防災世界会議 復興庁主催総合フォーラム(平成27年3月15日))

 復興大臣の竹下亘でございます。本日は、復興庁が開催をいたします、この総合フォーラムに、世界各地からご参加をいただきましたことに、まずもって、心から感謝を申し上げます。
 南太平洋のバヌアツで、サイクロンによる大きな被害が出ておるという報道も目にいたしました。私どもも、大きな被害を受けたエリアでありますので、大変気になっています。また、詳細について新たな情報が入りましたら、その都度、皆さん方にお知らせをさせていただきたいと、このように思っているところでございます。
 本日は、基調講演としまして、東日本大震災の特徴と、復興における民間との連携といったような点に焦点を当てて、お話をさせていただきます。
 まず、皆さん方に感謝を申し上げます。今回の震災に際しまして、160を超える国・地域から、あるいは40以上の国際機関を含めて、世界中の皆さんから、もちろん日本人もそうでございますが、世界中の皆さん方から、温かいご支援をいただいたり、あるいは救援のお手伝いをいただいたり、様々な支えをいただきましたことに対しまして、まずもって、本当に心から感謝を申し上げます。
 「苦しいときの友は真の友なり」という言葉がございます。あの苦しみの中で、皆さん方から日本中、世界中からいただいたご支援を、被災地は決して忘れることはございません。
 日本は、地震、津波、台風、火山を初めとして、あまりいい言葉ではありませんが、「災害大国」でございます。今回の震災の知見や教訓を踏まえて、今後想定される南海トラフ地震や、首都直下型地震に備えて、我々は「防災先進国」を必ず目指していこうと、決意をいたしているところでございます。
 世界を見回しましても、およそ23万人の犠牲者を出してしまいました2004年末のインド洋津波災害や、約9万人の犠牲者が出てしまった2008年の中国四川大地震等、アジアを中心に、世界では自然災害が多発する今、日本のこの知見や、この大震災からのこうした教訓、そういったものを、ぜひ世界で共有をしていただきたいと。日本は、そのためにも努力をすることをお誓い申し上げる次第でございます。
 このフォーラムは、まさにそういう意味で、東日本大震災からの経験・知見・教訓を発信する、絶好の機会と、こうも捉えているところでございます。
 東日本大震災の特徴を、20年前に発生いたしました阪神・淡路大震災と、まず、比較をさせていただきます。
 両震災とも、大きな被害を記録いたしております。阪神・淡路大震災では、亡くなった方の数は6,400人、全壊の住宅、住家は、およそ10万戸でございました。今回の震災では、亡くなった方はおよそ1万6,000人、行方不明の方が2,600人、全壊の住家、住んでいらっしゃる家は、約13万戸でございます。
 今回の震災の特徴は、「広域」であること、「複合災害」であること、そして、「田舎」が、元々、経済活動が活発でない田舎が、大きな被害に遭ったこと。ふるさとが追われたこと、というのがキーワードであると、こう考えております。
 今回のこの震災からの復興は、「帰りたいな」と思っていらっしゃる皆さん方には、お一人お一人に、温かい家庭と温かいふるさとを、必ず取り戻してもらう、ということであると。そこに向かって、復興を進めている最中でございます。
 「広域」「複合災害」、例えば、神戸市を中心として、大きな災害に遭いました阪神・淡路大震災でございますが、このエリアと比べましても、今回は、震源域だけを見ましても、南北およそ500km、東西およそ200kmと、極めて「広域」でございまして、その上、津波や原発事故を伴う「複合型」の災害であるというのが、東日本大震災の大きな特徴でございます。
 阪神・淡路の場合は、都市が中心としてやられた、被害を受けたものでございますから、土地を復興して、住宅を建てれば、経済活動はあるので、人は自然に帰って来る、という状況にございました。
 でありますから、仮設住宅は5年で全て撤去ができるというところまで、復興が急ピッチで進むことができたわけでありますが、今回の災害は、より困難な課題を伴っておりまして、震災発生から4年が既に経過をいたしましたが、避難をしていらっしゃる方は、当初47万人であったものが、確か23万人にまで、減ってはきておりますが、4年経って、まだ23万人の方々が避難生活をしていらっしゃるという、この厳しい現実。我々は復興に携わる者は、まず、この厳しい現実を真正面から受け止め、認識をして、スタートしなければならないと。これが、今回の復興の原点でございます。
 復興の進展に伴いまして、さまざまな新たな課題も発生をいたしております。何よりも、地震と津波の被害だけを受けたエリアにつきましては、正直言って、復興への槌音は、明らかに聞こえ始めておりますが、原子力発電所の事故に関連したエリアにつきましては、残念ながら、まだ復興には程遠い。復旧の手も、付くか、付かないかという、スタートラインにようやく立った、という厳しい現実にあるところも、ご理解を賜りたいと思うわけであります。
 復興庁といたしましては、というより、日本国としては、この未曾有の災害に対しまして、全力で、国力を挙げて復興に取り組み、今日まで取り組んでまいりました。具体的に申し上げますと、復興庁という、復興だけを考える、あるいは全ての役所の権限を調整する能力を持った新たな役所を作って、一元的に復興に携わる。あるいは、復興の財源として、次の世代に負担を先送りすることなく、復興増税を25年間に亘って、所得税は2.1%、国民の皆さん方、全てにご負担をいただいております。
 そういうことを原則にいたしまして、GDPのおよそ5%に相当する金額、25兆円という金額を確保いたして、まず、前半の5年間は、この25兆円でもって、できるところまでしっかりと復興しようということで、まさに取り組んでおる最中でございます。
 これまで、河川、川の堤防、それから水道、国道、鉄道、港湾といったライフライン・インフラは、90%以上で復旧が完了いたしております。また、高台移転は、約90%、公営災害住宅でも、約80%で事業が始まるなど、ここはちょっと、我々も苦しい表現をしているんですが、この数字だけで、できてるわけじゃないんです。事業が始まったのが、90%と80%であると。そのことを中心に、住宅再建にまさに取り組んでおります。また、被災者による住宅の自主再建が、およそ12万戸、これまでのところ建っております。まだまだ必要であると、こう考えておるところでございます。
 なぜこういうことになったかといいますと、津波によって被害を受けた所は、危険区域であります。また、いつ津波が来るかわからないというところで、大部分のエリアが、危険区域の指定を受けて、「住めない」という認定を国家がいたしまして、高台、つまり山を切って、高い所に、海抜の高い所に住宅地を造る。また、商業地も、津波にやられたエリアをかさ上げをして、新しく土地を造って、そこに新たなふるさとを造る、という作業に取り組んでおりますので、一般的な災害復旧とは、かなり時間がかかってきておることも事実でございまして、そのことは、私どもにとっても、時間との戦いというのが大きな鍵を握っておる課題であります。
 何せ、満4年が経って、まだ避難生活23万人。特に、このうち仮設住宅という、本当に急ごしらえの住宅に、お住みをいただいている方だけでも、まだ8万人を超えておるという状況があります。
 この時間との戦いの中で、我々は、元々このエリアは、高齢化が進んでおるエリアでありましたので、仮設住宅で長い間生活する方、あるいは、仮設住宅から恒久的な住宅に移った方の中でも、健康の問題を抱えていたり、あるいは孤立をしたり、孤独死する方々が、残念ながら発生をいたしておりまして、そうした方々を見守る仕事、これは、役所だけではなくて、NPOの皆さん方、あるいは地域の力を相当借りながら、やっております。さらには、保健師の皆さん方にも、お力添えをいただいております。介護福祉に関連をしていらっしゃる皆さん方にも、力添えをいただいております。
 いわゆる家を造る、インフラを直すというだけではなくて、時間との戦いの中で、人の心のケア、健康のケアというものが、非常に大きな、災害復興の要素になってきておるということは、事実であります。
 しかも、それだけではございません。家を建てて住んでいただければ、造れば、人は帰って来るか、ふるさとに戻ってもらえるか。そうではありません。住まいが完成をいたしましても、例えば、病院が近くにあるかどうか、学校があるかどうか、商店街があるかどうか。あるは、自分たち、若い人たちが勤める職場があるかどうか。いわゆる地域の「なりわい」が整っていなければ、人は帰ってまいりません。
 今、その意味で、そうした「なりわい」を復活するために、様々な力を合わせて、町を立ち上げて、ふるさとを立ち上げていくという作業を行っております。しかも、これにも民間の力というのが、非常に大きな役割を果たしてくれております。というより、もっともっと果たしてもらわなければならないと、こう思っております。
 あの地域は、水産加工団地、漁業が主力でありましたので、水産加工団地が、加工工場が多くあった所でありますが、工場を復興しても、あるいは機械を入れて、水産を開始しても、売り先がない。つまり、3年も4年も物を作れなかった間に、都会地のスーパーは、他からもう既に物を仕入れておりまして、売り先がないという状況、売り上げがなかなか回復しない、という状況が起きております。
 これを役所にやれと、こう言われても、役所は、これが一番下手であります。物を売ったことのない人たちの集まりが、役人でありますので、これは役所は駄目です。ですから、民間の力、役所ができることは、民間の企業の、あるいは東京の大手のスーパーなり、あるいはデパートなりの人たちと、地元の人たちが、いろんな商売の話が、直接できる場を作る、そこまでが精いっぱい。そこまでは、必死に、今、やっておるところでございまして。具体的に、幾つかの成果は出ておりますけれども、まだまだ、もっともっと、マッチングという作業は、やっていかなければならない。さらに、大手企業が持っておるノウハウですとか、販路ですとか、あるいは生産技術ですとか、そういったものも、これからもどんどん、力を借りなければならない課題だと、こう思っております。
 こうした取り組みを通じまして、私たちは、地方創生のモデルとなるような、にぎわい、いわゆるふるさとを取り戻すことを目指しまして、「新しい東北」、今までどおりの復興ではなくて、新しい、さらに活力ある東北を創ることに、力を注いでいきたいと、こう思っております。
 福島について、お話をさせていただきます。
 福島は、まだ厳しい現状にあることは、残念ながら事実でございます。しかし、原子炉は安定的に冷却され続けております。このことは確認をされております。一部エリアで、まだ放射線量の高い地域があることは事実でありますが、ほとんどの地域で、もう既に放射線量は、かなりのレベルまで下がって来ておりまして、復興を進めることができる状況は、次第に整いつつある、ということは言えます。
 しかし、政府や専門家が、いくら「安全だ」と、「数字の上では安全だ」と、こうお話をしても、地域の皆さん方、あるいは、日本中の皆さん方に、「安心」をしていただけるかどうかということでは、大きなギャップがあることも事実であり、その難しさに、私たちは直面をいたしております。
 日本の食品の安全基準は、国際的に見ても極めて厳しいレベルでございます。例えば、一般食品の放射性セシウム濃度の基準値は、1kg当たり100ベクレル、これが日本の基準でございます。欧米はどうかと。1,200~1,250ベクレルというのが基準値でありますので、1桁厳しい水準を設定しておりますし、基準値を上回った食品は、全て出荷停止にいたしておりまして、市場に出ております物は、「安全な物」、「安心な物」だけが出荷をいたしておりますが、風評被害の前で、なかなか苦戦をしていることも事実でございます。
 先日、イギリスのウィリアム王子も、この東北の被災地をお尋ねいただきました。私も、安倍総理に同行させていただきまして、おいしい物を食べていただきました。福島産のおいしい物を、「おいしい、おいしい」と言って、食べていただきました。皆さま方にも、おいしい福島県産の農産物を、安心して味わっていただきたいなと、このようにも思う次第でございます。
 これからも、私たちは「東北の復興なくして、日本の再生はない」という決意のもと、被災者の方々に寄り添って、復興に取り組んでまいります。
 2020年には、東京オリンピック・パラリンピックがやってまいります。私たちは、それまでにできる限りの復興を成し遂げて、世界中の皆さん方に、「見てくれと、これが東北の底力だ」「これが日本の底力だ」ということを、世界の皆さん方にお示しをしていきたいと、そのことを一つの目標に、汗をかき続けているところでございます。
 このフォーラムを通じまして、東北再生のさまざまな試み、その中には、先導的なものもたくさんございます。そして教訓、そして、さらには、力強く再生に向けて歩んでいる姿を確認していただき、共有していただければ、大変感謝をいたす次第でございます。
 最後まで、このフォーラムにご参加をいただき、そして、それぞれの知見を高めていただき、共感を得ていただきますことを、心からお願いを申し上げまして、基調講演とさせていただきます。
 ご清聴、ありがとうございました。

(以    上)

ページの先頭へ