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平野復興大臣の会見[平成24年12月26日]

平野復興大臣記者会見録(平成24年12月26日(水)11:32~11:57 於:復興大臣会議室)

1.発言要旨
 まずは、本当に皆さんいろいろな形でお世話になりました。
 今日、最後の閣議をやりまして、内閣総辞職ということで、私も国務大臣の職を解かれたということです。
 記者会見でいろいろなことを言いたいことがあったなと思って、今ずっと考えていたのですけれども、今何を言うべきかということについて、十分まとまったものは未だないというのが正直なところです。
 3月11日の夜に福山内閣官房副長官から、岩手県に飛んでくれと、当初は内閣府副大臣でありましたけれども、岩手県に飛んでくれと言われたときから、復興への取り組みが始まっておりますが、復興大臣は、その前に復興対策担当大臣からすれば、7月5日からということで1年半ということになります。
 津波、地震の地域については、さまざまな道具立てはしてきたつもりなのですが、成果は何かということを語るという段階にはまだ至ってないなというのが正直なところです。
 福島については、これは本当に放射能の問題にせよ、一回退去を命じられて、どうやって帰還をしていただくか。また、賠償の問題、あるいは除染の問題、一つ一つ試行錯誤しながら取り組んできたという経過があります。1年9カ月たって、一体我々がどのようにこれらの問題をこれから解決していかなければならないのか、かなりこれは復興庁の職員も復興局の職員も、その問題の全体像明確に意識して、今帰還に向けて何をすべきか、あるいはインフラ等の整備については何をすべきか、かなりしっかりと動き出しているなという感じはあります。ただ、福島については、まだまだこれからということは、皆さん方現地の状況を見てのとおりだと思います。
 ただ、福島については、私は去年の4月、5月の状況、特に内陸部の状況等も覚えておりますけれども、内陸部は徐々に戻ってきて、昨日、福島県の佐藤知事にお会いしたときは、3・11の水準まではまだいってないけれども、かなり近い状態までは内陸部等については戻ってきたかと、風評被害はまだあるけれどもということですね。
 ただ、問題は双葉郡等の本当に強制的に避難された区域、あそこは人がまだ住んでいないという事実が歴然としてあります。行くたびに家は劣化しているという状況の中で、この地域の取り組みをどうするかということについては、先ほど申し上げたような状況ですが、本格的な取り組みはこれからということだと思います。
 私は復興というのは、国が自治体と、また地域の人たちと連携しながら進めていく大きな仕事だと思います。復興担当大臣としては、松本大臣の後を継ぎ、2番手ということになりましょうか、復興大臣としては一番手ということで、駅伝にたとえれば走者の一人のように、次にどうやっていい状態でたすきを渡していくか、そんな仕事なんだろうと思います。
 だから、これが終わらないうちは復興はまだ終わりません。私としては、できるだけ毎日、毎日―とにかくこれだけはちょっと言えるかなと思うのですけれども、よく仕事というか、―よく動いたなという思いがあって、できるだけいい状態でたすきを渡せるようにしようと思って努力したことだけは、これは言えるかなと思います。
 以上です。あとは、質問にお答えする形で答えたいと思います。
 ちなみに、私は被災地の出張回数は140回で、滞在日数は151日だそうです。これは内閣府の副大臣の3・11の被災関係、防災担当大臣を含めてです。そのうち、60回が福島、岩手、宮城がそれぞれ30、ほかの地域が残りということで、よく歩いたなという感じはします。恐らく被災地の状況を一番歩いて、見てきたというのは、私ではないかなというふうに思います。昨日も先週も福島のあいさつ回りに行ったときは、いろいろ歩かせていただいて、またいろいろな人とお話をさせていただいたので、体の中に詰まったものについては、今後いろいろな形で還元していきたいということは、少し申し上げました。

2.質疑応答
(問)個別の課題ですけれども、いろいろ次の大臣に引き継ぐ課題があると思いますけれども、その中でも災害危険区域から外れた被災世帯に対する独自支援を自治体がやっている中で、財政支援がなかなか足りないという格差が開いているという問題がありまして、大臣は検討中ということでしたけれども、現段階でどのあたりまで来ているのでしょうか。次の大臣はどういうスタンスでというふうに引き継ぐおつもりでしょうか。
(答)基本的には、復興基金の積み増しという考え方で、事務的に詰めてきた経緯がありますから、その観点で引き継ぎはしたいというふうに思います。

(問)交付金の活用という形ではなく、あくまで基金の中で。
(答)基金というのは、要するに特別交付税です。だから特別交付税を積むということで、基本的には復興交付金ではなくて、特別交付税という形での対応でいくのがいいかなというふうに思っています。地域によって考え方がかなり変わってきていますので、交付金はあくまでも補助金という形になりますので、自治体の裁量でもう全面的にそちらにゆだねてやるほうが対応としてはいいのかなということで、そういう形で引き継ぎはしたいというふうに思っています。

(問)逆に大味な質問で恐縮ですが、否応なく政権交代ということになるわけですけれども、復興を含めて何か大臣御自身悔いの残ることというのはございますか。
(答)悔いの残るということは、まだまだやりたいことはやらなくてはならないことはたくさんありますから、これをそのまま残して交代するというのは残念だし、言葉を選ばず―言えば、少し悔しい思いもあります。
 ただ、復興については、発災直後から、私どもは自民党本部にお邪魔したり、公明党本部にお邪魔したり、あるいはこちらに各党の方々が来られるときは、全部ここでお話を聞いて、いい政策についてはどんどん受け入れるということで、震災の復旧復興に政局や政党もないということでやってきました。政権交代も選挙の結果として、これは結果出てますから、あとは新しい政府のもとで、私もまた野党という立場になりますけれども、いろいろな形での後押し、あるいはいろいろな注文等はつけていきたいなというふうに思っています。

(問)昨日の会見でも少しおっしゃってましたけれども、次の大臣に引き継がれる重点的な項目として4点ですか。
(答)それは、私とまず大臣のほうの話ということで、私からお話しするよりは、新しい大臣のほうからどういうふうに引き継がれたかということで、お話しいただいたほうが筋だというふうに思いますので、その点については今はコメントを差し控えさせていただきます。
 住宅再建、帰還の問題、そういったことが中心になると思います。

(問)過ぎてしまったことは、もう取り返しがつかないわけですけれども、この時間を振り返って、あの段階でこういうことができたのではないかとか、もしそういうものがありましたら、後学のためといいますか、今後の政策に生かせるという意味でも、何か思っていらっしゃることは。
(答)私は、いつも今回の中央防災会議等の震災の検証の中でもイの一番に言ったのは、自治体が被災をすることの深刻さとの問題意識の共有がちょっと遅れたということはあると思います。
 片山さんが総務大臣のときは、多分片山さんは御自身はその問題を多分認識していたと思うのですが、その後我々がフォローが十分できなかったという面は少しあるのかなと。
 だから、マンパワーの問題というのは、私は早くからいろいろ言ってきたつもりなのですが、自治体という体制の支援についての問題意識の共有は、私自身としてはちょっとおくれたという点は否めないなと感じています。だけれどもその後復興庁のスタッフ、それから総務省、かなり歩き回って、いろいろなことでやってもらって、人員の派遣等々の体制強化なんかをやってもらいました。そこの遅れの挽回は後である程度取り戻したというふうに思ってますが、一連の被災直後の支援物資等の提供からスタートして、自治体というのは自然に動くものだという意識がしばらくあったということは、今回の被災の中での大きな反省点の一つだと思っています。
 それから、あともう一つは私自身は、福島のプラントとか、事故は事故ですから、プラントに相当の注目が集まったということは、当然なのですけれども、避難している方々に対しての支援ということについては、全国に散らばったということもありますし、どういう支援を図っていくかの対応も、これは手探りの面がありましたけれども、津波地域の被災者の支援等に比べれば、少し対応のスタートがちょっと遅くなった。

(問)復興交付金の最初の配賦のときに宮城県の知事から、査定庁だというような批判があったりとかというふうに、一見外から見るとコミュニケーションの齟齬みたいなものもあったような気がするのですが、今振り返ってみて、あのころの被災自治体並びに3県との連携、他の県もありますけれども、連携ですとかというのは、どうだったのでしょうか。うまくいっていたのか、ちょっと問題があったのか。そして、今はどうなのでしょうか、その点をお願いします。
(答)今は少なくとも自治体との、あるいは被災地とのコミュニケーションというのは、格段によくなっていると思います。それが一つは復興局の職員が本当によく歩いているということで、これはぜひ自治体の皆さんにも聞いていただきたいと思いますけれども、そういう意味でのコミュニケーションは図られていると思います。
 村井知事のあのときの状況というのは、計画そのものということについては、まだ全体として各自治体にも、私もよく随分説明しましたけれども、二線堤については、こういう一本の線が自治体によって高さが違っていたのですから、それでもって復興交付金を出してきたというときには、ちょっと待ってくださいと、まだ調整中だから、そういったところについては次につけますから、この高さの調整をしましょうみたいな、そういう話があったということ。
 それから、あとエリアがだんだん決まっていないのに、とにかく額を計上してきてやってくるとか、最初の1回目のいろいろな混乱があった結果だったと思います。
 私は後で村井知事にいろいろ言ったのですけれども、ちょっと村井知事に一言私も電話しておけば、ああいう形の多分会見にならなかったと思うのですが、そういった意味でのコミュニケーション不足、かくかくしかじかでちょっと今回概算要求よりはちょっと少なめの形になりますよと。
 ただし、あのときも言ったのですけれども、つけなかったことは減額をするという予算をつけないという意味ではないですから、計画をともにつくりますよと、計画をともにつくって、それが熟度が増せば2回、3回という中で、復興交付金をどんどんつくっていきますので、今、各自治体には復興交付金が相当詰まっているはずです。
 これからの問題は、それをいかに計画的に執行していくか、だからマンパワーという問題、資材の問題、それから等々の問題になってくると思いますが、そのためにはCM方式とか何かということは、用意はしてあるのですけれども、そういうことですね。
 一方、福島はまだまだコミュニケーションはいいと言いながらも、除染事務所とオフサイトセンターと復興局という三つがあって、また縦割りがあるよという批判は最後のあいさつのときにもいろいろ伺っておりますから、ここの部分は先ほど引き継ぎということについて少しありましたけれども、その部分はきっちりと引き継いで、ワンストップと一元化ということと体制強化というのは、特に福島はまだ私は必要だと思っています。
 特に福島の場合に、帰還の問題は完全に自治体の能力というか、能力のあれを私は超えていると思ってますので、全村それで避難させて、そこへまた戻るということについては、計画づくりから、手続等々から、そういう場合は、もともと国の役割を前面に出して、福島については、特に双葉郡他については、このようなことをやる必要があるのではないかとは思います。

(問)余り触れられてはこなかったと思うのですが、安倍さんのこれまでの御発言の中で、総裁選からこの復興の問題について、これは違うのではないかと思われたり、あるいはこれからこうしてほしいという、そういう引き継ぎの問題は別にして何かございますか。
(答)私は新しい復興庁の政務三役に申し上げるとすれば、まず現地をよく歩いて、現状どうなっているかということと、自治体の関係者の方々と私はどれだけ信頼関係をつくったか、わかりませんけれども、何でも言える環境をまず早くつくっていただきたいという、その1点に尽きると思います。
 あとは、この1年9カ月ですか、いろいろな政策、まだまだ不十分な点はありますけれども、ここで復興局とか、各府省と全部議論して、中にはけんか腰で議論したようなことも多々ありましたけれども、いろいろな積み上げはありますから、手前みそですが、去年に比べたら復興局と復興庁の職員は格段に体制、しっかりしているし、各人員も現地をよく知っている人がいっぱい増えてますので、その人たちを上手に使って、やっていただければと思います。課題はたくさんあります。

(問)道具立てはそろってきたという話だったのですけれども、制度とか法律とか、まだちょっとここが不十分だと、今後整備しなければいけないというようなところはございますか。
(答)あるとすれば、土地の用地の問題はまだあるのかなという感じはしてます。
 それで、この問題についても、今の立法の中でどこが問題かということについては、ずっと検討を国交省や復興庁で、何回も何回も勉強会をしながら、よく意見交換していて、今のところは法律を改正しなくてはならないというところまでは結論に至っていません。むしろ今ではさまざまな特例を用意していますから、その特例をどうやって使っていくか、使っていくに当たってどういう問題が出てくるかということについて、これから需要を踏まえながら検証するということを今始めてます。その結果として何か不都合なことがあり、法律改正が必要だということであれば、法律改正をやっていただくということになると思います。
 ただ、どんな場合でも土地問題は境界を画定するというのは、境界を画定しないで土地の調整とか、土地の権利移動はできませんし、土地の境界が法律でできるかというとそうではなくて、当事者同士の確認等が必要だとかという最低限の労力というのは、どんな場合でも必要になるのです。
 今回の場合は、筆数が非常に多くなります。そういったものに対して現在の法制度を超えたな措置ということが必要という議論になり得ますけれども、それについては、もう少し況を見ながらやっていくということになるのかなということです。

(問)先ほど福島の支援体制の話、スタートが少しおくれたという御発言がありましたけれども、福島のことに限らず、岩手、宮城含めて、全体でスピード感ある復興ができたとお考えでしょうか、それとも足らない部分があった。どちらでしょうか。
(答)スピードという点で言いますと、少なくとも私は住宅は、個人的な感触からすると、今年はもっともっと基盤造成、着工させたかったですね。そういった意味では、半年ぐらいおくれているという感じはありますが、それでも被災自治体、それから県、それからUR等が一体となって、それから国の職員も入って、かなりの計画づくり、権利調整、用地の確保等は進んでいますから、年明けからかなりの地区で着工ができるという見通しも立っており、これから住宅の再建も進むのではないかなと思います。
 あと全体としては、スピード感ということについては、遅い、遅いというのはそのとおりだと思いますし、あと我々も仕事をやりながら、どんなに何をやったとしても、これでいいというスピードはないというのも、職員の間の中ではずっと言い続けてきました。何をやっても遅いという意識でやっていかなくてはなりません。当然被災者にしてみればまだ仮設住宅に住んでいる、それから、福島県の県外に避難している方はたくさんおられますから、こういった状況の中で、冒頭申し上げましたけれども、復興としてこういう状況まで来たなんて言える段階では到底ないということは、正直なところだと思います。
 あと1点だけ、本当に被災地の特に津波の地域は、漁師さんとか働く意欲を持っている方がたくさんいて、その人たちの努力で働く場の復活だけは一歩一歩できているかなと、私も実感として持っています。皆さん方も現地へ行けばそれを感じていただけるのではないかとは思います。

(問)今日は政権交代の日なわけですけれども、これから一議員に戻られて政権奪還に向けてどんな活動をされていくおつもり、心構えでいらっしゃいますか。
(答)基本的には、まず復興を引き続きかかわらせていただきたいというふうに思っています。あと個人的に申しますと、内閣府大臣になって、被災地以外自分の選挙区をほとんど歩いていなかったということもありまして、随分御無沙汰している方々もおられますので、そういった方々にもごあいさつ等々を申し上げながら、私自身は来年の7月、選挙ということもありますし、その準備も進めながら、復興についてのかかわりを引き続きしっかり持ちながら、職責を果たしていきたいというふうに思っています。
 本当に引き続き復興のことは、皆様方によろしくお願いをしたいと思います。
 本当にいろいろな形でお世話になりました。私は報道をできるだけ気にしないふりしてましたけれども、結構気にするほうで、一つ一つの中で聞いたこと、ここが足りないといったところは、結構その記事をもとにして、各職員を呼んで、ここはこうなっているので、ああだった、ああだったという話はいろいろな形で活用させていただきました。
 若干的外れなところも、多々あったような感じもしますけれども、それはそれで、ただ本当に現地によく皆さん方歩いていただいていましたから、引き続き歩いていただいて、現地のほうともやっていただければありがたいというふうに思います。
 ありがとうございました。お世話になりました。

(以    上)

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