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吉野復興大臣記者会見録[平成30年6月29日]

吉野復興大臣閣議後記者会見録(平成30年6月29日(金)9:50~10:00 於)復興庁会見室)

1.発言要旨
 1点目、浪江町の馬場有町長は、病気療養中のところ、去る27日に逝去されたとのことであり、謹んで御冥福をお祈り申し上げます。
 町長は、東京電力福島第一原子力発電所事故の発災当初から、常に町民の先頭に立って浪江町の復興・再生を牽引をされておりました。町長の多大なる御尽力に対して改めて敬意を申し上げます。
 復興庁としても、浪江町が一日も早く復興を成し遂げるよう、引き続き全力で支援をしてまいります。
 3日の葬儀には私も参列し、改めて御冥福をお祈りしてまいります。
 2点目、本日、岩手県釜石市から申請のありました鵜住居地区の、「まちなか再生計画」を認定しました。
 この計画は、釜石市内で最も震災被害の大きかった鵜住居地区に商業施設等を整備し、利便性の高いまちづくりを目指すものでございます。
 商業施設は、平成31年夏の開業を予定しております。この計画によって鵜住居地区に人々のにぎわいが創出されることを期待しております。
 詳細は後程、事務方より説明がございます。
 3点目、明日30日に、福島県の楢葉町、葛尾村、南相馬市、また相馬市を訪問する予定です。
 楢葉町では、医療・福祉・商業交流施設が集積した生活拠点「笑ふるタウンならは」の中核となる商業施設「ここなら笑店街」のオープニングセレモニーに出席をいたします。
 葛尾村では、農業用倉庫、防災備蓄倉庫とニット製品の製造・販売を手がける金泉ニットの福島工場を視察してまいります。
 南相馬市では、介護老人保健施設「ヨッシーランド」の視察を行ってまいります。
 相馬市では、鉄鋼加工・物流業のアイ・テックの物流拠点と、そうまIHIグリーンエネルギーセンターを視察してまいります。
 
2.質疑応答
(問)今最初に御発表いただいた視察の件なんですけど、今回、ビジネスとか医療とかそうしたところかなと思いますが、改めて主眼というか目的を伺わせていただければ。
(答)私は現場主義を貫いておりますので、現場に課題があって、その解決方法も現場にあるということでございます。なので、あらゆる分野での現場を見ていくというのが一番大事なことでございます。30日の訪問は幅広く見ていきたいと思っております。
(問)明日訪問する楢葉町もそうですが、先日、富岡町も要望にいらっしゃったかと思うんですが、東京電力福島第二原発の廃炉方針に関してなんですけど、富岡の町長からは、廃炉後の地域振興に対する支援をお願いしたいというようなお話があったかと思いますが、改めて、原発廃炉後の立地町の振興に向けてどのような支援を考えていらっしゃいますか。
(答)それが一番大事だというふうに思います。地域振興、そのために企業立地補助金等々を活用して、多くの新しい産業が富岡町に生まれるように、復興庁としては支援をしてまいりたい、このように考えています。
(問)昨日なんですけれども、仙台市と宮城県が提案していた大型放射光施設、次世代型放射光施設の関係で、文科省の小委員会が仙台市への立地が妥当だという判断がなされて、これまで要望してきた仙台市での整備というのが実現する方向になったかと思います。震災後の産業復興であるとか新産業の創出の観点でも、非常に意義としては大きいものがあるかと思うんですけれども、大臣の所感、何かあればお伺いしたい。
(答)そのニュースは、私は今初めて聞きましたけど、仙台市には東北大学という学問の府がございます。そういう意味では、放射光のいわゆるスプリング8みたいなものを、仙台市につくるということは、これからの最先端の科学技術をしていく上では本当にすばらしいことで、それが仙台市に限らず東北全体の復興に寄与するものじゃないのかなという思いを持ってます。
(問)最初に、馬場町長の訃報のお話があったんですけども、それぞれ被災地でいろいろ意見交換等々されてきたと思うんですが、印象とかですね、エピソードというか、そういう残ってるものがございましたらお伺いしたいです。
(答)馬場町長は、昭和23年生まれで私と同い年です。県会議員だった当時にも、私の選挙を一生懸命応援をしていただきました。ですから震災前から本当に仲間としてやってきたものでございます。そして同じ世代ですから、特に同じ浜通りということで、同じ思い出も持ってるし、子供のころは戦後間もなくでございましたので、同じ体験をしてるということで、本当に身近な存在でございました。
 7年前のあの原発事故、そして大震災、これも現職の町長として経験をされて、そしてやっと1年前、帰還困難区域を除いて避難指示が解除されたわけです。そして浪江町は、全国に町民の方々が散らばった町でございますので、その町民の方々への支援、これもきちんとなされて、例えば復興支援員という制度があるんですけど、福島県内では浪江町が一番多くその支援員を雇って、県外・県内に各地に避難している方々への本当にきめ細かい対応をしておりました。
 そして避難指示が解除されてからは、もう今年の4月には小学校・中学校が、小・中学校という形でオープンし、また、棚塩地区では水素製造装置の産業団地造成、実はこの産業団地造成が私と会った最後になるわけですけど、こういう形で復興、いわゆる避難指示解除後の道筋もきちんと付けられて、これから解除後のまちの発展をしていくために、本当に大事な方だったなということで、本当に残念であります。

(以    上)

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