被災地の元気企業 40
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挑戦事例 農林漁業、山元町 取り組み(事業内容) ● 10年で100社、10000人の雇用を創出する ● 「農業・教育・交流」の三本柱で地方の変革を行う ビジネスの構造を変え儲かる仕組みを構築 全くの農業未経験者である岩佐氏がイチゴ生産を始めたのが2011年7月。山元町のイチゴ産業が今後どうなるか誰も未来を描けなかった時である。IT企業の経営者だった岩佐氏が実践する経営はスピード重視であり、「チャンスが1%でもあればまずやってみる。そしてPDCAサイクルを早くたくさん回すことが成功させる秘訣」と語る。1年目はイチゴ農家のプロに指導してもらいながら従来型のビニールハウスでイチゴを栽培し、見事収穫に成功したが、利益はほとんど出ない状況だったという。このように収益性が低い構造は震災以前における山元町のイチゴ農家も同じであった。その理由は次にあげるイチゴ産業の2つの課題がある。 ① 摘み取りから出荷までの作業に多大な労力を必要とするため、畑を大きく広げてもその分だけ人件費がかかってしまう極めて労働集約的なl 者ニーズを刺激するような商品開発や販売が困難である。 岩佐氏は、これらの課題を克服し、若者が農業に魅力を感じてもらうためには、従来型のビジネス構造から抜け出し、儲かる仕組みの構築が必要と考えた。その結果至った結論は、勘と経験と労働力に頼るだけでなく、資本と知識も活用したビジネスへの転換である。具体的には、①最先端の大規模園芸施設を投資しICTによる自動化と効率化を追及する。②研究開発およびマーケティング・販路開拓を独自に行うことで、開発から販売まで一貫したブランド作りを可能とする、というものである。 東京・新宿にある伊勢丹本店のショーケースに宝石のように輝くイチゴが並んだ。宮城県山元町産と書かれた1粒1000円の「ミガキイチゴ」である。岩佐氏の挑戦が新たなステージに到達した瞬間であった。 宮城県山元町で震災後に設立された農業生産法人㈱GRAは、イチゴやトマトの生産・販売を行うとともに、グループのNPO法人と連携して地域の子供達への志の教育、経営資源の共有を促す人的交流、および農業による産業育成と発展を並行的に展開している。 山元町は震災前から人口減少、少子高齢化および産業の衰退など多くの課題を抱えていた。この課題を本質的に解決するには、「地域を牽引するリーダーと世界で通用する圧倒的なコンテンツが必要」と岩佐氏は語る。 この実現に向け、岩佐氏は未来のリーダー育成を体験学習やキャリア教育を通して行うと同時に、自ら地域のリーダーとして収益性の高い産業を創造する役割を担うことで、GRAグループのビジョン「10年で100社、10000人の雇用創出」を目指す。 しかし、山元町の主要産業であるイチゴは日本でのシェアは1%以下、担い手不足や販売価格の下落などの状況に震災が追い討ちをかけ危機的な状況にあった。それでも岩佐氏は、地域の誇りであるイチゴを復活させたいという熱い想いと、世界的な消費量の伸びや価格の安定性などから、イチゴ市場に自社の成長の可能性があるとの冷静な判断から世界への挑戦を始めた。 得たノウハウや利益を、研究開発や販売活動に再投資 産業である。 ② イチゴの生産者は小規模な家族経営が多く、研究開発は国や県の試験場、マーケティングは農協、販売は市場で行われるため、消費 町と「共創」し 子供たちの「志」を育て 「産業」を育てる ビジョン 代表取締役CEO 岩佐 大輝 氏 GRAの挑戦 農業生産法人株式会社GRA 山元町特産のイチゴで雇用を創出し地域を活性化する 研究開発 生産 加工 マーケティング 販売 得たノウハウや利益を、研究開発や販売活動に再投資 84

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