被災地での55の挑戦 ―企業による復興事業事例集―
87/146

74 動させ、冷凍食品工場の蒸し器等の設備を活用して、それまでできなかった「焼く、煮る、揚げる」の加工を可能にした。この結果、札幌工場では、たこ、いか、ホタテといった従来からの寿司ネタに加え、新製品の焼き物、煮もの、揚げものを製造することができた。当社が北海道へ進出したメリットは、海産物が豊富で、北海道の大手荷受会社も当社の復興をサポートしてくれたことだ。しかも、北海道に当社製品と競合する事業者がいなかったことで、荷受会社経由で道内のスーパー等への販路も開拓ができた。 一方、陸前高田に新設する工場については、機械化により従来、対応できなかった大量生産ができる工場に位置付け、今まで大量生産できなかったために対応できなかったコンビニやドラッグストア向けの、いか、たこ、ほたて、サーモンの生産を行うこととした。なお、新工場建設資金は、水産庁の「東日本大震災復興交付金事業(水産業共同利用施設復興整備事業)」を利用した。ただし、新工場の課題は人手不足である。工場は2013年12月より稼働しており、稼働率はまだ3割程度である。札幌は都会で若い人も多く比較的人手の確保が容易だが、陸前高田は震災による若者を中心とした人口減により、地元に残っているのは高齢者が中心である。被災地での人手不足には、外国人研修生の活用が不可欠であると武蔵野和三社長は考えている。 当社の生き残り戦略は、絶え間ない新商品開発による差別化である。創業当時は寿司を扱うスーパー、回転寿司も尐なく業界が小さかったため、寿司ネタを供給する当社の競合相手も尐なく商売がしやすかったが、現在は業界が大きくなり、寿司ネタを供給する事業者の参入も増え、当社の競合相手が増えた。また、水産物の輸入価格が高くなっている中、当社商品販売先の回転ずし業界では、価格転嫁ができず、業界全体での生き残りが難しくなってきている。このような厳しい業界の中で生き残るためには、絶えず新商品開発を持続する商品開発力が不可欠である。 武蔵野社長はもともと寿司職人であり、すし店長、海産物仕入会社や海外水産加工場の経営等の経験とノウハウがある。水産加工業に携わる人間でもサラリーマン化が進み、以前までのような魚のプロ・職人が減っている中、経営を差別化することが可能となっている。差別化をするためには、新商品開発が不可欠である。当社の販売先も寿司業界のみならず、コンビニエンスストア、外食チェーンレストランチェーンと広がりをみせており、販売先のニーズに対応するため、現在、当社の商品開発は社長の他、4名の専属の開発スタッフをおき、寿司、総菜、通販の商品開発を担当している。現在外食のレストランチェーンと新商品を開発中で、開発した惣菜は業務用の他、スーパー、コンビニでも展開したいと考えている。 今後の展開としては、競争が激化し、また今後の人口減尐による需要減が見込まれる国内だけでなく、魚需要が拡大している海外を狙いたいと考えている。日本の魚は安くなっているのでビジネスチャンスがあるという。まずは、香港、台湾向けにホタテの剥き身、加工製品など一工夫加えた商品の輸出を検討中である。当社は、北海道へ進出した当時、ロシア企業との提携を思いついた。北海道はロシアと地理的に近く、地元の北海道企業は古くからロシア企業とビジネスの関係があったため、そのネットワークを活かして、原料が豊富なカムチャッカのロシア企業と当社が寿司ネタ加工で培った生魚をさばく技術等で提携し、世界に販売することを検討中である。 '4(エッセンス'大切なこと( 竣工した陸前高田新工場 当社の取り組みは、①早急な代替施設での生産開始による販路維持、②震災を契機としたニーズに対応した新工場建設、③魚に関するノウハウをベースとし、小売・卸と連携した新商品開発による差別化に特徴がある。特に、早急な代替施設での生産開始により販路維持した上で、従来からの新商品開発力と新たなネットワークをベースとして、新工場建設を契機にして大ロットのコンビニ向け、ドラッグストア向け、ファミリーレストラン向け新商品生産に進出している点が特筆される。

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です