被災地での55の挑戦 ―企業による復興事業事例集―
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54 を採用するとともに、生地を薄く織る「薄地織物」の技術を高めた。先染織物は糸の配置を精密に計算し織り上げるものであり、一方の薄地織物は生地を薄くするために極細の糸を用いて織り上げることから、いずれも高い技術が必要となる。こうした技術の高度化と蓄積がフェアリー・フェザーを開発する基盤となった。 '3(チャレンジ'挑戦( フェアリー・フェザーの開発は2007年、経済産業省から当社の技術を活かして新たな製品開発をしてはどうかとの話が来たことが契機となった。2008年7月には同省「地域資源活用事業」の計画認定と支援を受け、当社の先染織物技術と薄地織物技術を活かし、世界一薄い絹織物の開発を目指した。最も細いとされる1.6デニール(髪の毛の太さの約6分の1)の生糸を使って生地を薄く織り上げる技術の開発は相当な困難を極めた。例えば生糸の先染め工程に関しては、先染めによって糸の強度が低下してしまうことから、糸の強度を補う油剤や染色技術等に試行錯誤を重ねた。生地の織り上げに関しても、織機は元々重い生地を織るものであり、薄く軽い生地を織るのは困難であったが、糸繰り装置の超低速化や、モーター回転速度の制御等の工夫を重ね、超極細絹糸の製織技術を確立した。 フェアリー・フェザーの開発を進める中、震災が発生した。当社工場の壁や機械等が損傷したものの操業は間もなく復旧し、懸念された顧客の流出も起きなかった。齋藤社長は「震災を乗り越えるため、社員全員に新しい事に挑戦したいという気運が高まり、一層フェアリー・フェザーに取り組んだ」と語る。 3年の開発期間を経て、当社は世界一軽い絹織物であるフェアリー・フェザーを生み出した。今までの薄地の絹織物では実現が難しかった透明感と玉虫色の光沢をもつ高付加価値製品として、国内外の有名ブランドからの引き合いが増加した。さらに2012年2月、当社は一連の取り組みによって、国の「第4回ものづくり日本大賞」伝統技術の応用部門にて内閣総理大臣賞を受賞した。齋藤社長は「生地を織るには多くの工程を経るが、工程に関わる当社の職人・織り子はじめ関係する人の協力を得て成功できた」と振り返る。 ものづくり日本大賞での内閣総理大臣賞受賞や、テレビ・新聞等のマスメディアで当社の取り組みが取り上げられたことによって、世界一薄い絹織物を作ることができる当社の技術力が広く紹介された。すると、自動車製造業、精密機械製造業、酒造業など、今まで当社とは取引が無かった分野の企業からの問い合わせや引き合いが増加したという。その中には、海外の大手航空機製造企業から当社の技術を航空機製造に活用できないかという問い合わせもあり、製品サンプルを送ったこともあった。 フェアリー・フェザーは材料となる極細の生糸の採れる量が限られており、かつ製品に大量の需要があるわけではないので、売上は1か月あたり約100万円と尐ない。国内外の有名ブランド等、高級品向けのニーズのある取引先からの引き合いはあるが、「価格には原材料に加え開発投資回収も含むため、通常の絹織物製品に比べるとはるかに高く、需要はまだ伸びない」と齋藤社長は語る。フェアリー・フェザーの原価低減は今後の課題であるが、「当面はフェアリー・フェザーを世に出すことにより、世界一薄い絹織物を作れるという当社の技術力を広くアピールしていき、異業種からの引き合いをもっと増やして新たな取引につなげることを主眼に置きたい」と、齋藤社長は戦略を語る。 '4(エッセンス'大切なこと( 地域の基幹産業である絹織物産業が衰退する中、当社は生き残りに向けて技術の高度化に努め、他社との徹底的な差別化を進めた。その結果、高い技術に裏打ちされた、世界一薄い絹織物製品を生み出すことに成功するとともに、当該技術力を積極的に外部へPRすることで異業種への販売展開を図ろうとしている点が特徴である。「当社も当初はドレス生地の分野だけで差別化しようとしたが、それだけでは難しいと感じている。今後は、当社にとって事業の柱となり得る製品分野を増やしていきたい」と齋藤社長は語る。

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