被災地での55の挑戦 ―企業による復興事業事例集―
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104 '3(チャレンジ'挑戦( 2010年6月に、氏家社長は組織の位置づけとそこで働く社員の一人ひとりの機能の重要性を語った。そこで、吉田取締役はミッションからビジョン、戦略、行動指針、小集団活動が一覧できるペーパーを作成した。その中で、「ウジエスーパーの存在意義」は「食を通じて社会に貢献すること」として定められている。社会貢献の内容は「より良い品をより安く、お客様の立場になってサービスすること」であり、これを当社のモットーとしている。さらに、モットーを具現化するために、「ウジエ行動方針」を定め、社員の心構えとして「社訓」が定められている。また、経営戦略として「価値訴求型スーパーを目指す!」を掲げている。価値とは「ウジエにしかない商品・サービス」のことであり、これを具現化するために社員全員参加による小集団活動「りんご100%」を展開し、ひとりひとりのミッションを明確にして働き方を位置付けている。 これらのマネジメントツールとして、当社では「私の仕事シート」を作成している。私の仕事シートは5つのパートから成り、①私の使命(任務)、②使命(任務)を遂行する為の行動、③現在の課題の把握、④上記課題を解決する為の最重要施策の実施計画、⑤経営への提言、という内容について書き出し、経営側と面談で詳細を詰めている。この面談は1回では終わらず、双方が納得するまで行われる。当社は、ちょうど震災直前の3月第1週に、管理職80名を対象にこの面談を終えていたばかりであった。 このような取組があったからこそ、通信手段がまったく機能せず、店舗間連絡もできず、ライフラインも途絶している中で、各店舗の店長は、自らなすべきことを行動指針や社訓に照らし合わせて自分で判断し、震災翌日には営業再開に動くことができたのである。 震災は当社にとって大きな気づきを与えた。それは、「食品スーパーは地域の重要なライフラインである」ということである。象徴的な出来事は、発災後1週間頃、登米市長が当社に一人でやってきて氏家社長に依頼したことだった。「避難所にいるお母さんたちがショックで母乳が出なくなり、このままでは赤ちゃんが大勢死んでしまう。どうか粉ミルクを調達してきてほしい」。当社は物流子会社を持っていたため、取引先や登米市の協力でガソリンを優先的に分けてもらうと、メーカーや共同購入組織の協力もあり、埻玉県までトラックで調達に出向くことができた。吉田取締役が4トントラック1台分の粉ミルクを調達して戻ってくると、大変貴重な粉ミルクだからということで登米市の職員が避難所を戸別訪問して、本当に必要なご家庭にだけ手渡しして回った。残った分は、副市長が近隣の市に届けに行った。 それまで、当社では物流部門はコスト部門と考えており、アウトソーシングを実際に検討していたが、この出来事があって自前の物流手段を確保しておくことの重要性を学ぶことになった。 '4(エッセンス'大切なこと( 本当に生きた事業継続計画'BCP(を実践するためには、対策本部の設置や連絡手段の構築などの形式的な措置ではなく、社員一人一人が何をすべきなのかがきちんと判断できる企業文化の確立こそがもっとも重要である。それがなければ、対策本部に情報が集まるだけで何も対処できない事態が生じる。 当社では、東日本大震災を契機に「私の仕事シート」を管理職だけでなく全社員に適用するようになった。また、緊急時の安否確認は対策本部が確認するのではなく、社員が自分で家族の安否も含めて対策本部に知らせるという方式に切り替えた。 復興は1社の努力だけではできない。地域内外との連携が重要であるが、自治体や仕入先、共同購入組織、地元企業、地域住民が、当社の経営理念やミッションに対して共感を呼んだからこそ、進んで連携が図られ、事態の打開につながったと考えられる。当社は現在、登米市だけでなく、宮城県美里町や加美町とも地域防災協定を結んでおり、地域との連携を深めている。

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